私はある意味、南伸坊を尊敬していると思う。
尊敬という言葉に広~く解釈が許されればの話だが。
実際、「尊敬する人は?」という問いには、「辰巳芳子さん」と答えている。
本当の意味で尊敬しているから事実なので。
んぢゃ、南伸坊のことは本当には尊敬していないのか?というとそうではないのだ。
バカバカしいことが楽しいようでなければ人生はつまらない、と教えてくれたのが南伸坊なのだ。
っというよりも、南伸坊の本を読んでいると、世の中つまらないことなんてないんじゃないか?とさえ思うのだ。
20年くらい、愛読しているのだが、全部読んでいるかというとそうでもない。
書店で気がついたら買う、というスタンスなので、読んでいない本が何冊もあるがあまり気にしていない。
しかも、南伸坊の本は書店の棚にいつまでも置いてある本ではなく、すべて文庫化されるわけでもない。
そんな私でも見逃さないシリーズがこの本人になりきって写真を撮るやつだ。
これはいわゆる『顔マネ』ではない、と南伸坊は云っている。
昔から「ヒトの身になって」考えよという。なかなかそうは
いかないのだが、それは人々が「ヒトの身に」ならないからだ。
私は文字通り「ヒトの身」になってみようと思った。・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・私は、さまざまな本人になってみた。
そうして、その本人の身になって文章を書いたのである。
身になったまま、書くのがのぞましいが、実際は本人の身に
なった写真を、鏡を見るように「見ながら」本人としての言葉を
つむぎ出す、という手順になったことが多かった。
なので、この本のなかの文章は南伸坊が書いたかもしれないけれど、あくまでも本人の身になって書いた文章で、読んでいくと本人自身よりも本人かも、とさえ思えてくるから不思議なのだ。
「ソックリ!」と思うヒトもいれば、「なんじゃコレは?まさか‥」というヒトもいるだろう。
目を細めてみるとなんとなく‥似てるかも‥というのももちろんある。
キアヌ・リーブス(俳優)
例えば、コレはキアヌでは絶対ない!はずなのだが、でもかなりツボは押さえているのだ。見ているうちに「もしかしてアリかも‥」とさえ思うくらい。
村上龍(小説家)
この村上龍はかなり失礼といえば失礼だ。いや、他のも失礼なのがあるけど。
だけど似ているよねぇとニマニマしながら見てしまう。
ちなみに、小倉久寛でも太ったヒビノでもない。
そんな私が一番ツボにハマッたのが次の本人さんだ。
手嶋龍一(NHKのひと)
わかるヒトにはわかる、とはこの写真のことなのでは?と思うくらい、どツボだった。
このヒトになろう、と思った南伸坊に拍手を送りたいくらいだった。
他にもいろんな本人の人々がいるのだが、試しに私の母(79歳)に写真だけ見せて「コレ誰?」と聞いたところ、7~8割方、本人の名前を云ったのだ。
なかには「うんにゃ、○○××はこんなヒトじゃない!」というのもあったが‥。
南伸坊が素晴らしいのか、母が素晴らしいのかはわからないが。
森鴎外は、「なんでもないことが楽しいようでなくてはいけない」と云っていた。
「退屈は人間の恥」とさえ‥。
実際は楽しいことや面白いことばかりの生活なんてありえないのだが、楽しいことや面白いことのある生活はいくらでも出来る。
そのための自分のアンテナを信じて、時々はメンテナンスをして、ピピピッと発見するのだ。自分のために。
南伸坊の本を読むとヘラヘラ笑って元気になる。
楽しいことはいいことだなぁってネ。
自分は本人にはなれないので、本人のなかへドッキング!
あくまでも昔のプリティ・リトル・菊ちゃんってとこが乙女の恥じらいっていうの?
そういうことにして~。(-_-;)ヾ ポリポリ