あなたに会えてよかった。

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まだ22歳くらいのころ、読みたくて仕方がない本があった。
雑誌などで、自分の気になる何人かのひとがオススメの本として紹介しているのを見て、読みたくなったのだが、書店で出版社に問い合わせても、そのときすでに在庫なし、絶版状態だった。
発刊されて2年くらいだったと思うのだが、鹿児島市内の書店はすべて在庫なし。
私は美術館めぐりが好きで、旅行の目的もそれが主だったことが多かった。
そんなときに知らない街の書店に入り、必ずその本を探した。
やはり、それでも見つからず、そういうことを繰り返しているうちに10年くらい経ったと思う。

ある日、その作家の作品が全集として発刊されるという記事を見つけた。
その4巻目が、私が読みたくて読みたくて仕方なかった作品だった。
発行される月を楽しみにして、予約してやっと手にいれることができた。
でも、すぐには読むことはできなかった。
読んだのは、手に入れてから半年くらい経ってからだと思う。

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『 しずかにわたすこがねのゆびわ 』 干刈あがた(河出書房新社/2990円)

1960年代の中ごろから約15年間の数名の女たちが社会の差別や矛盾のなかでもがき、傷つきながらも自分の人生を切り開いていこうとする姿を真摯なまなざしで書かれた、やさしくて苦い作品。
時代設定や書かれたのが一昔前なのでセリフや女たちの意識が多少は古めかしく感じることもある。
特に結婚・離婚に関しては、当時とはだいぶ変わってきているだろう。
それでも、根本的なこと、女の本質は変わりがないようにも思える。

誰にでも、いつか、苦しみの指輪が回ってくる。
それでも生活は続く。人生はそう簡単に終わることなどできないのだ。
しずかに痛いくらいの孤独さと向かいながら、誠実に生きることができるだろうか、と考える。
優しさと厳しさのバランスをとりながら、時代に女として立ち会うということ。
自分自身が裂けそうになることもあるだろう。
そんなときに、そっと差し出してくれた、なにか明るく照らしてくれる目には見えないもの。

干刈あがたさんがおっしゃってらしたことがある。

  「どこかのひとりの女性の抱えている問題は
    世の中の女性すべての問題なのだ。」

私がこの『しずかにわたすこがねのゆびわ』を初めて読んだのは確か34歳か35歳のとき。
読みたい、と思ってから12~3年経っていた。
しかし、それだけの年月が必要だったのだ、と思わずにはいられなかった。
きっと、どこかでだれかが、「まだだよ、まだまだ」と云っていたのだと思う。
それでも、この本を読んだ8歳年上のお姉さんには「まだまだ早い」と云われたのだが。
そのときの面映い気分はわかるだろうか。

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干刈あがたさんがこの本を最初に出したのは1986年頃。
そして、1992年に49歳の若さで亡くなった。
数年前に全集が発刊されたがすぐ品切れ状態になり再版は未定で、今も本が手に入りにくい作家だ。
やっと手に入れた数冊の本は私にとっては宝物。
初期の作品に『樹下の家族』という作品がある。
永瀬清子さんの『木陰の人』という詩を読んで感銘を受け、対句として『樹下の家族』を書いたそうだ。
私は『樹下の家族』も未だ読んでいないのだが、その永瀬清子さんの『木陰の人』という詩も読んだことがなかった。
永瀬清子さんは『あけがたにくる人よ』などを紡ぎだされた素晴らしい詩人だ。

ひとつの小さな円だと思っていたものが大きくつながった円になっていたことに気づくことがある。
特別なひとは出てこない。いわゆる面白い話でもない。
どこでもいる誰かのための作品だと思う。
でも、自信を持っていえる。
この作家に出会えたことは私にとっては幸せなことだ。

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