もう10年以上も前に読んだ本のことを書くのはいかがなものだろう。
そう思ったのだが、どうしても書きたい本のことがいくつかある。
さらに本というのは映画と違って、あとでDVDになる、BSで放送される、というようなことはなく、
文庫本になっても品切れ・絶版になることが多い。
昔からの知り合いのひとたちはコピーの冊子等で読んだことがあるような本の話をたま~に目にするかもしれないけれど、「そういえば、そんなこと言ってたかも‥」ということでよろしくネ。
10年以上、いや15年以上前くらいにはなると思うが、高橋克彦の『北斎殺人事件』を読んでからずっと私は “北斎隠密説” を信じている。
だからもちろん、私にとって北斎の娘・お栄も父親の跡を継いで隠密なのだ。
他の北斎に関する本を読んだり映画を観たりしても、それがどんなにおもしろくても、私のなかの“北斎隠密説”は揺るぐことはなかった。
しかし、『応為坦坦録』を読んだあと、「北斎は別として、お栄はもしかするとこっちのほうが
‘らしい’ような気がする」と、ちょっぴり思ってしまった。
「応為」というのは、北斎の娘・お栄の画号だ。
北斎が名前を呼ばずに「お~い、お~い!」といつも云っていたのでこの画号になった、というのが一番伝わっている説だ。
『応為坦坦録』はタイトルどおり坦々とお栄と北斎や、そのまわりの人々のことが描かれている。
話し言葉のテンポがよくって、まるですぐそこでお栄たちが話しているような気にさえなる。
そして最後の一行に胸がギュッとなった。
それと、読み終えたあとの爽快さは一体何だったのだろう、と思った。
お気に入りの時代劇の映画には、かならずといっていいほど画面のなかに‘風’を感じることがある。
『応為坦坦録』も読みながら何度もその‘風’を感じた。
山本昌代さんは、この作品で文藝賞を受賞したとき、なんと23歳だったそうだ。
それを知ったとき私は、23歳でこの『応為坦坦録』を生み出したということに驚きをかくせなかった。
私から「騙されたと思って読んでみて」と、半ば無理やり読まされた友人たちも23歳という若さに驚き、そして「好かったよぉ~!」と、やや興奮気味に喜んでくれた。ふふふ~。
亡くなられた杉浦日向子さんが以前、江戸っ子のことを 《 あっけらかんとした絶望感 》 という言葉で表現していて、なるほど、と思ったのだが、『応為坦坦録』のお栄はまさしくそのとおりだった。
あっけらかんとした絶望感と生きっぷり、そして風。
それが読み終えたあとの爽快感になっているのかもしれない。
『写楽殺人事件』から始まる高橋克彦の浮世絵シリーズを読んでいなかったら、この『応為‥』も読むことはなかったかもしれない。
高橋克彦をはじめ、いろんな本を友人に教えてもらって読んだ。
読む愉しみをたくさん教えてくれた友人に感謝☆ ありがとう!
余談だが、少し前にイタリア映画の話題ときに、映画のなかで「俺たちはダヴィンチやミケランジェロの子孫だぞ!」と云っていたのが羨ましかった、というようなことを書いた。
それから、外国のひとたちでも知っている日本人って‥?とちょこっと考えていた。
そして、「あぁ、そうかぁ」とやっと気づいた。
写真を撮っているひと、デザインをしているひと、もちろん絵を描いているひと。そして映画を作っているひと。
胸をはって、「私たちは北斎や広重の子孫なんだ!」と云えばいいんだぁ、ってね。
なんだかちょっぴりスッキリしちゃったなぁ。