がんばんなさいよ。

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小さいころから、病弱ではないが決して丈夫なほうではなかった。
20代前半は腰痛と腱鞘炎に苦しめられた。
でも段々と丈夫になってきたなぁと思っていた。
5~6年前にひどい肺炎にかかり、一ヶ月以上入院した。
退院後も体調の悪い日が続いて、いささか塞ぎこみそうになりそうなときに
一篇の詩を教えてもらった。

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  『 悲しみ 』   石垣りん

私は六十五歳です。

このあいだ転んで
右の手首を骨折しました。

なおっても元のようにはならない
と病院で言われ
腕をさすって泣きました。
お父さんお母さん ごめんなさい。

二人とも、とっくに死んでいませんが
二人にもらった身体です。
今も私は子供です。
おばあさんではありません。

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泣きべそになった。
そして、早く元気にならなくては、クサってなんかいるもんか、と思った。
 

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高校を卒業して東京へ行くとき、両親、兄、親友が空港まで見送りに来てくれた。
家を出発するときには、クラスメイトで部活の仲間であった友人たちが家まで見送りに来てくれた。
笑顔で「行ってきま~す!」と手を振った。
その数日前にJRで行くクラスメイトを見送りに行ったのだが、その子らがぐちゃぐちゃに泣いているのを見て、「わぁ~、泣いている~」と思った。
それが、搭乗口に入るときになると、ブワァ~と涙があふれてきたのだ。
ぐちゃぐちゃ状態。
同じ会社に入る川内の子が一緒だったのだが、その子に支えられるように飛行機に乗ったような気がする。
それでもやっと、落ち着いて出発時間を待つだけになった。
飛行機が動き出したとき、川内の子とお喋りしながら、ふと外を見ると、空港の建物の上の見送りの人たちがたくさん居るところが目に付いた。
すると私はまた涙があふれて止まらなくなった。
白っぽいコートを着た母が端から端まで手を振って走っているのだ。
当時、母は腰や膝や悪くて走るなんてキツイはずなのに、誰よりもわかるように手を振って、走っていた。
今でもまぶたの奥にその姿を思い浮かべると涙が出てきて、泣きべそになる。

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映画 『 東京タワー 』を観ていると、作品そのものよりも、自分の親、特に母とのいろんな思い出がポカンポカンとあふれてきてしまう。
親になったことのないひとはいくらでもいるが、すべてのひとは誰かの子供なのだ。
母は私のオカンだが、祖父母の娘、子供なのだ。
今度は母の手を連れて観に行こうと思った。
家に帰って、「お母さん、今度連れて行くよ~ん。一緒に観るよ~」と云ってみた。
オカンに負けないくらい嬉しそうな顔をしていたような気がする。

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