ことば Feed

2006年11月10日 (金曜日)

ボクを探して。

1_67 街のイヌは散歩が好き。

3_20 公園がある街が好き。

5_5 今もどこかで迷い込んでいる。

2_68 歩き続けるのに疲れたとき。

0610291_2  

Photo_171 ここもどこかのケーキ屋さん。

4_9 名前は知らないけど好きな花。

Dscf0013_2 またどこかへ歩いて行こう。

2006年11月 3日 (金曜日)

ハートに火をつけて。

Photo_162

以前、友達が教えてくれた 『夜のパリ』という詩。

ロマンチックな菊ちゃんにピッタリでしょ、と云われた。

こころのなかはみたくないの?と聞いてみた。

笑われた。

ライターで煙草に火をつけた。

マッチじゃないんだぁ、と云ってみた。

ゴホゴホしていた。

楽しかった。

2006年9月11日 (月曜日)

がんばらない。

Photo_75 ←ちょっと休憩

もともと私は、『努力・根性』といったモノがないほうだ。
しかも、努力したり根性だしたりしたとしても、それを表面化するがイヤというか、こっ恥ずかしいというか。
全くカッコつけてんじゃないよ、と思うひともいるだろう。
私はかなり、“ 甘ちゃん ” なのだ。 決して、お嬢ではないが。

そんな私でも、精神的にちょっと疲れたなぁというときや、これでいいのかなぁと思うことがある。たま~に。
そんなときに、ノォトを開いて読んでみる詩がある。
茨木のり子さんの代表作でもある 『 自分の感受性くらい 』 という詩だ。

「基本にかえる」ということがある。
それは人それぞれで、きっと中には「え?コレが基本なの?」と他人からみると感じることもあると思う。
そして、それはひとつのひともいれば、いくつもあるひともいるだろう。
私にとって、『 自分の感受性くらい 』 は、いくつかのひとつだ。

20歳前半に、この詩を知ったときには、後頭部をハンマーでバゴ~ン☆と殴られたような気分だった。
すべてが当てはまる自分がいたようなショックがあった。
そして、この詩に出逢えて好かったと思うようになろう、と思った。

それから何年も経つ。
今も、時々思い出したようにノォトの書かれたこの詩を読む。
少しは、「この詩に出逢えて好かった」と思うようになったのだろうか。
がんばらない私は図々しくも思うのであった。

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ちっとも見守ってもいないし見守る気もないのに、
このような絵を描いて友達に送っている。
でも、思いがけず、「抱きしめたい気分になった」と云われて、
ちょっと有頂天になっている おバカな私であった。
いろんな人たちに見守られてずっと生きてこられたことを感謝しつつ‥。

2006年8月30日 (水曜日)

私の青空

2_25

この絵をマリリン・モンローが大好きだという友人に見せたら、「My Blue Heavenだね」と云われた。
『My Blue Heaven』 訳すると 『私の青空』だ。
その昔、日本ではエノケンが唄って有名になったと聞いた。
私は、だいぶ前になるが、多分、終戦後の映画で、古川ロッパが焼け野原のようなところで、ドラム缶みたいなお風呂に子供と入ってこの曲を唄っていたのを見ていて、妙に覚えていた。
何かの映画の本のなかで、そのシーンのことが書いてあったことがあり、それを読んで嬉しくなったことがあった。

『私の青空』
夕暮れに仰ぎ見る輝く青空
日暮れて辿るはわが家の細道
せまいながらも楽しい我家
愛の灯影のさすところ
恋しい家こそ私の青空

日暮れて辿るはわが家の細道
せまいながらも楽しい我家
愛の灯影のさすところ
恋しい家こそ私の青空

そのモンローが大好きな友人は、どの写真よりも、上の絵の元になった写真が好きだと云う。
「まるで、空を見上げたら、モンローが寂しげに笑いかけているようだろう?」と云っていた。
描いたのは、それを聞く前だったのだが、元は白黒の写真なのだが、バックは絶対にブルーだと決めていた。
なぜ、そうなのかは自分でもわからない。
ただ、左と右の顔は違うひとのようにしたかった。
それを友人に伝えると、黙ってやわらかく(!)Hug Hug された。(#^_^#)

後日、ちょっとだけ悩んでいるときに、その友人があることばを教えてくれた。

「悩みは壁にかかれたニセモノのドアで、ふり向きさえすれば、すぐそこに青空に通じるドアがある」

(教えてもらったような気がするが、誰のことばか私は知らず‥)

今になって、ということが多々ある。
その友人にとって、『私の青空』とは一体どんなことなのだろうか、と。
そして、私は誰かの『私の青空』になるのか、なっているのか。
誰かが『私の青空』になるのか、なっているのか。

そんなことをフト考えた夏の終り(暦の上では)。
     

1_14 2_26
夏の終りの小さい祭りの風景。

2006年7月21日 (金曜日)

未だに白秋期。

3_2
もう10年近く前のことだが、バイト先で短い詩を教えてもらった。
それは、北原白秋の『銀のやんま』という詩で、たった5行ではあったが、
胸に静かに響いた。
それから、文庫本の白秋の詩集を買った。
読んでみて、なんだか、おセンチ大魔王の私にはピッタシなんじゃないのぉ?
と思った。
もともと、佐藤春夫が好きで、時々、好きな詩歌を書いたノォトを見ては、
ウットリ(?)していた。
そのノォトに、白秋の詩歌も増えていった。
なかでも短い詩が好きで、『他ト我』 『もくせい』 『片戀』 など書いたりした。
友達に話したら、自分は『靑いソフトに』と『意気なホテルの』が好きだ、と云った。
その人らしいなぁと思った。
そして、「へぇ~、白秋好きだったんだぁ」っとちょっと嬉しくなった。

何かで読んだのだが、若い頃に誰もが “白秋期” になることがあるらしい。
でも、段々と大人になるにつれ、“白秋期”を過ぎ、そんな頃を懐かしく、
そして少し甘酸っぱく思えるようになる、というのだ。
がっ、しかしっ!私は大人になってから、“白秋期”になったので、
未だにそのまんまなのだ。
確かに、最初のころよりも、『ウォタァ・ヒアシンス』 を読むとキュ~ンとなったりするのだが‥。

上のイラストは4年くらい前の暑中お見舞いなのだが、
大好きな 『蜂の子』 をモチーフにした。
送った何人かに、「コレは何て詩なの?誰のなの?すごく素敵!」
と云われた。
ちょっと嬉しかった。
でも、なかには、「菊ちゃん、大丈夫かなぁと思った」という人もいた。
どうも、私が自分の詩を暑中お見舞いにした、と思ったらしく、
そういうふうに云われたのだ。
いくら、おいらでも、自分の詩(そんなものがあるのか?)を
暑中お見舞いにしたりはしないのだ~。

Photo_33

私は、その後、佐藤春夫、北原白秋に加えて、西條八十、立原道造と、
ますます、おセンチ大魔王の道を究めている。
でも、一番好きなことばは、武者小路実篤が時々書いていた、『和而不同』だ。
「和シテ同セズ」ね。
意外におセンチではないのじゃ~。

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