Stella by Starlight
少し前にも書いたのだが、私は腰椎ヘルニアからくる痛みが悪化したときに入院手術を覚悟していたので、少し痛みが治まりはじめたときにそのための準備をしていた。
いろんなひとに聞いてみて、手術した後しばらくしたら読書は出来るらしいとわかったので、頂いたり自分で買ったりして読んでいない本があるのでそれを読んじゃおうっと探してみるとザクザクと出てきて、「あ‥こんなに読めるんだ‥」と思いつつ帆布バッグにいれた。
買ってザッとはみてはいたけれどじっくりみたい雑誌もまとめて違う帆布バッグに入れた。
以前、肺炎をこじらせて1ヵ月くらい入院したときは最初の2週間は読書三昧だったが、そのうち飽きてきて、後半の2週間は編み物をしていたことを思い出し、毛糸と編み物の本の準備もしていた。
もちろん、寝間着・下着・タオルなどなどもしっかり準備していたのだが、運良く必要なくなった。
そのときバッグに入れた本のなかには、今年の2~3月頃に一時片付けと称してちっとも片付かなかったときに見つけた、水害のあと残った本数冊もあった。
読んでいない本があるのに、一度は読んでいる本をまた読みたくなって物置(の代わりにしている裏の小さな家)から何冊も持ってくる懲りない私だった。
特に岩波新書の『詩の中に‥』は、若いころ読みたかったのだが当時もすでに絶版状態で、一時アンコール復刊があったためにやっと手にすることができたのだが、今は多分目録にも載っていないのでは、と思う。
アマゾンでもまったく引っかからなかった
この本を読むだびに自分は何にも知らない甘ちゃんであることをまざまざと知らされる。
初めて読んだときにすみっこで見つけた短い詩が忘れられない。
にほんのひのまる
なだて あかい
かえらぬ
おらが むすこの
ちで あかい
いわゆる詩人ではない人びとの飾りのないことばが傷みにさえ感じたり逆にユーモアを交えて温かくなったりする。
何かから眼をそらそうとする自分がいるときに、他にも数冊あるのだがこの本のようなものを読むと、バシバシと見えないビンタをされたようになる。
決して、それでまた頑張ろうというわけではない。
ましてや「こういうひとたちもいるんだから‥」といったことはまったくない。
ただただ、甘ったれた自分に気づかされるだけ。
ひとに云われるのではなく自分で気づきたいのだ。
そして、案外まじめな自分にも気づき、「てへっ」となり、もとの菊ちゃんに戻るのだ。
最後はどこかで自分をほめる。
歳をとっていくと段々とほめてくれるひとも少なくなってくるのだ。
自分の敵は自分であり、自分の一番の味方も自分なのだ。
少なくとも私は~。
読み返したい一冊と栞にしていた大好きなトムソーヤの冒険のカード ”誰よりも遠くへ~♪”
そんな案外まじめ(?)な私は、以前カタログが好きだと書いたが、本の目録も好きなのだ~。
ただの目録ではなく、少し読み物(対談なども)が入っている“何周年記念”というのが特に好き。
最近書店で見つけた目録は読み応えがありおもしろかった。
なかには、エッセイや対談のほかに「思い出の中公新書」というアンケートがあり、これを見ているとアレもコレも読んでみたくなる。
また老後の楽しみが増えたかも~と思って最後の全2000点リストを見ていたら、結構 “品切重版未定” があるので気になったものは早めに買っておいたほうがいいのか?!と思ったが、いわゆる中公新書の定番というかベストセラーといわれるものはあまり品切れではないと気づいた。
でも、定番以外で読みたいなぁと思ったものが半分以上は品切れだった。
特に川本三郎さんの『アカデミー賞』が品切れなのはかなりショック‥
水害でダメになっていたのでいつか買いなおそうと思っていたのだ。
アンコール復刊してほしいなぁ。
私が持っているのは昔の映画のポスターのハガキで、当時それぞれ2冊づつ買ったのだ。
使わずにとっておく分と使う分と。
しかし、水害後残ったものは「使う分」だったのだ~。うううぅぅ~~
そんないろんな意味で復刊を望む(?)私に京都の友人から荷物が届いた。
秋の夜長の準備万端なのだ。
夜になると虫の声が聞こえてくるようになった。
灰が入ってこなければ窓を開けられるのに、と思う今日この頃。
相変わらず昼間は35度近い暑さだけどね。
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