がんばらない。
もともと私は、『努力・根性』といったモノがないほうだ。
しかも、努力したり根性だしたりしたとしても、それを表面化するがイヤというか、こっ恥ずかしいというか。
全くカッコつけてんじゃないよ、と思うひともいるだろう。
私はかなり、“ 甘ちゃん ” なのだ。 決して、お嬢ではないが。
そんな私でも、精神的にちょっと疲れたなぁというときや、これでいいのかなぁと思うことがある。たま~に。
そんなときに、ノォトを開いて読んでみる詩がある。
茨木のり子さんの代表作でもある 『 自分の感受性くらい 』 という詩だ。
「基本にかえる」ということがある。
それは人それぞれで、きっと中には「え?コレが基本なの?」と他人からみると感じることもあると思う。
そして、それはひとつのひともいれば、いくつもあるひともいるだろう。
私にとって、『 自分の感受性くらい 』 は、いくつかのひとつだ。
20歳前半に、この詩を知ったときには、後頭部をハンマーでバゴ~ン☆と殴られたような気分だった。
すべてが当てはまる自分がいたようなショックがあった。
そして、この詩に出逢えて好かったと思うようになろう、と思った。
それから何年も経つ。
今も、時々思い出したようにノォトの書かれたこの詩を読む。
少しは、「この詩に出逢えて好かった」と思うようになったのだろうか。
がんばらない私は図々しくも思うのであった。
ちっとも見守ってもいないし見守る気もないのに、
このような絵を描いて友達に送っている。
でも、思いがけず、「抱きしめたい気分になった」と云われて、
ちょっと有頂天になっている おバカな私であった。
いろんな人たちに見守られてずっと生きてこられたことを感謝しつつ‥。
考えさせられますね。
基本に帰るという事は、
いい詩だなあと思いながら
自分を振り返りながら考えたいと思います。
いろんな人に見守られながら生きているという事も忘れずに
投稿: カイト | 2006年9月12日 (火曜日) 01時11分
ハイ、ばかものです。
この詩の目線の先には、大きな包容力と
凛とした厳しさがあるように感じます。
大好きな詩のひとつです。
気づかないところで、みんな誰かに支えられているんですよね。
投稿: sunny | 2006年9月12日 (火曜日) 16時11分
スタート地点に戻るのではなく、もう一度立ってみる、ってことかなー。
女性の視点は、時には男にとっては厳しいものに感じられることがあるけど、それがたまに心地よいものになることがあるよ。
「倚りかからず」なんて男には言えない。
男は甘えん坊だからさー。
だから優しく見守って、抱きしめてー、菊ちゃん。
投稿: もとちゃん | 2006年9月12日 (火曜日) 19時40分
*カイトくん*
赤い文字の『自分の感受性くらい』をクリックしたら、詩が読めるので見てみてネ。
フト考えたのだけど、お坊さんの基本って何なんだろう?
でも同じにんげんだから特別に、ってことはないのかもね。
*sunnyさん*
「ばかもの」 ガツーンときますよねぇ。
私はこの「ばかもの」の “もの” や、雨ニモマケズ‥の最後の「コウイウモノニ‥」の ”モノ” という言いかたが妙に好きです。
*もとちゃん*
世間的にはイケメンサラリーマン(?) であるもとちゃんが、こういう詩や詩人をわかっているというところが、女性を夢中にさせる所以なのかなぁ~。なんつって。(*^_^*)
遠くから抱きしめてあげます。遠くから。
投稿: 菊ちゃん | 2006年9月13日 (水曜日) 00時21分
茨木さんの詩、わたしも大好きです。
ほんとに呪文みたいに、
そらんじていたこともありました。
強くて凛として、生きて生きたいなって思って。
言葉って不思議ですね。
勇気をあたえてくれて奮起することもあれば、
やすらぎをあたえてくれて落ち着いたりもする。
きっと目に見えない、何か特別な力があるんだろうなぁ・・
投稿: Nee | 2006年9月13日 (水曜日) 23時21分
Neeさん、こんにちわ!
自分で自分を叱咤し励ますことはなかなかむつかしいなぁと思います。
『倚りかからず』なんて、「たよるな。たのむな。すがるな。」ですよね~。
なんだか背骨のゆがみを直してもらったような気持ちになります。
心の整体?!(*^_^*)
投稿: 菊ちゃん | 2006年9月14日 (木曜日) 13時48分