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2007年3月 2日 (金曜日)

父の椅子

Imgdispbook 『父の椅子 男の椅子』 宮脇彩 著

建築家の宮脇壇の二十世紀の名作椅子のコレクションのある家で生まれ育った娘の彩さんが、「カッコイイことは良いこと」を実践していた父、宮脇壇の思い出をステキな椅子のエピソードと写真とともに紹介してくれる一冊。
5~6年前に初めて読んだのだが、読み終えたあとは涙がポロポロ。
幸せな娘であり、幸せな父親の本だ。

20041

私の父は家具職人だった。
中学校を出たら、すぐ見習い工として家具屋に入った。
太平洋戦争のときには、そこから満州へと出兵して行った。
戦後、引き上げてきてからまたその家具屋で55歳の定年までずっと一職人として
決して高くはないお給料で真面目に働き続けた。
私は父が45歳、母が38歳のときの子どもで、父が定年のときにまだ小学生だった。
そのあと父は屋久杉の工芸品を作る会社で10年間働いた。
経験を積んだ職人でも地方の小さい会社で、さらに定年後ということもあり、
お給料はさらに安かった、と母から聞いたことがある。
母は父のところに嫁いでから、私が小さい頃には昼も夜も働いていた。
それまでにはいわゆる「お勤め」などしたことがなかった母だった。
小学2~3年くらいまで夜は父とふたりで過ごしていた。
そのうち母は昼間だけ働くようになり、夜は家族3人になった。
両親が頑張ってきたから、小さいながらも今住んでいる家も土地も自分たちのものになった。
私は中学生の頃まで、自分の家が貧乏だとわからずに育った。
大切に大切に育てられたおかげだ。
それなのに、私は段々と父に小さく反抗するようになった。
そして、父は自分のことがきっと嫌いなんだと、思うようにもなった。

社会に出て、接客の仕事をするようになってから、あるとき気づいた。
笑顔で接するひと、やさしく接するひとには、よっぽどのひとじゃない限り、笑顔で返してくれる。
カンジが悪いひと、横柄にひとに腹か立つからといって同じように接すると倍になって返ってくる。
私は何をしてお給料を貰っているのだ、と。
そして、あぁ、私は娘なんだ、子どもなんだ。小さい頃は一身に父に笑顔で甘えていたのだと。
それから少しづつだけど、前よりも楽しい我が家になっていった。

Photo_342

1993年の8.6水害のときには、父が作ったものがことごとくダメになってしまった。
特に私が小さい頃から使っていた勉強机は16歳離れた兄の代から使っていた大好きな机で、
それが壊されるときにはその場にいられなかった。
でも、一番こころに残っているのは、母のひとことだ。
家の一番奥の部屋の棚のなかに、父が50年以上使って来た工具箱が入っていた。
なにしろ、一番奥なので取り出すのがだいぶ遅かった。
ドロ水に長いことつかっていた鉄の工具はすでに錆びが出始めているのもあった。
それを見つけた母が「ごめんなさい、ごめんなさい‥」と泣きながら、手に持っていたタオルで
工具ひとつひとつのドロを拭きながら「これで私たちは生活させてもらったのに‥」とつぶやいた。
そうなのだ。父がコツコツと真面目に働き続けてきたからこそ、母も働けたし、私たちも大きくなった。

水害からしばらくして、父は甲状腺のガンが見つかり、長時間の手術を何度も受けて、約10年間頑張って3年前に亡くなった。
亡くなる半年くらい前まで自転車に乗っていたし、兄貴の末っ子の成人式にも出ることができた。
亡くなる前夜には兄と腕相撲をして勝って喜んでいたそうだ。
亡くなる朝まで口から食べ物をとることもできた。
私は病院のベッドの横に付き添いながら、「お父さんがずっといてくれたから、小さい頃ちっとも寂しくなかったよ、ありがとうね」と云うことができた。
少し笑って私の手を握った。
家族見守られて安らかに天国へ行った。

水害のあと、父が作った椅子がある。
何のかざりもないけど、とにかく丈夫でガッシリした、父のような椅子。
私はこのパソコンの隣において小さいテーブルのようにして使っている。
同じものがもうひとつあるけど、誰にもあげない。私の椅子だから。

Photo_343

父は「母ちゃん命!」だった。私と母が出かけると私に対してヤキモチを妬くくらい。
でも亡くなってから一度も母の夢にでたことがないらしい。
私の夢には時々出てきて、いろんなものを作ってくれる。
亡くなってからはじめて夢に出てきた父が作ったのは、天蓋のあるベビーベッドだった。
きっと、父が私に一番作ってあげたかったものだったのだろう。
ゴメンなさい、お父さん。

きょうは父が亡くなってからちょうど3年。
今でも『父の椅子 男の椅子』を時々パラパラと見る。
初めて読んだときよりも、いろいろと思い出が溢れてくる。
今でも父が生きていてくれたら、ああいうこともこういうこともしてあげられるのに、と思う。
面影はこころのなかで色あせずに残っている。
私もシアワセな娘だ。

コメント

菊ちゃん、元気?
3月に入って暖かくなってきたね。
親が死んでも涙は見せない、と思うカズが少し声を詰まらせて教えてくれたことを思い出すよ。
俺たちはさ、バツイチだとかバツ1.5だとか一生結婚する気がないやつとかばかりで子供もいないけどね、それでも、もしも娘がいたとしたら、こんな風に娘に思われるということが父親にとって、どんなに幸せなことか、ということはわかる。
一晩中、腕枕をして添い寝したい気分だよ。多少の痺れは我慢する。
面影かぁ。いいね。

あーあー、さーさんに先を越されたー。
菊ちゃんのお父さんの話で妙に覚えているのは、トイレのちり紙を乗っける台の話だなー。
「町内で一番豪華な便所紙のための台」という菊ちゃんのナイスなコメント。
日本とか世界とかじゃない、町内というところがまたいーんだよなー。
あと、自転車を改造する話とかねー。
なんだかさー、菊ちゃんのすべてをメモでもとっていたみたいだろ?
そんな話を俺がいちいち覚えているわけもなく、頭のなかがコンピューターのようにすぐ検索できる人が横にいて、俺がキーワードを言うと答えてくれるわけ。
俺は何を知っているかではなく、どれだけ愛しているかが問題なんだよねー。
親に愛されていると感じて育ったことは何よりの財産だと思うんだー。
俺も結構ね、感じてはいるんだ。
人の倍くらい学生をさせて貰っただけでもね、かなり。
このいい気分のまま家へ帰りたいのだけど、仕事が・・・。
休憩終了ー!じゃー!

いいお話を読ませていただきました。
私は幼少の頃、あまり父親と接する時間がなく
あまり思い出はありません。
ここ10年、やっと近くで過ごす父との関わりをどうっていいのか
解らない時間でしたが
これからでも、ちゃんと過ごしていけるといいな、思います。
あ、父は外国航路の船員さんだったの。
だからうちにはいなかったんです。

また、ゆっくり菊チャンと会いたくなりました♪

菊ちゃん、こんにちは。
あまりにいいお話で、羨望さえ覚えました…。今回ばかりはコメント、難しいな。
お母さんも素敵なお母さんです。
女性としても、とってもかわいい。

私は家族という形を子どもから奪ってしまったけれど、ふたりでもうまくいってると思っています。ふたりで、菊ちゃんちに負けないような思い出を作っていこうな~と思いました。
私はシアワセな母親です。

4年前に亡くなった父と重なって涙が出ました。お父様はお亡くなりになる前までお元気そうだったようですね。10年といえばもう癌も完治したと言っていい位だったのに本当に残念な事でしたね。
沢山の貴重な思い出を残されて本当に良いお話を伺いました。そうやって親の思い出を懐かしく思い出すのは菊ちゃんはご両親の愛情一杯で育てられたのですね。

菊ちゃん、こんばんは。

じっくり拝読させて頂きました。
菊ちゃんのご両親に対する思いが伝わってきましたよ。
じぃ~んときた。

話を拝見して 自分の両親と会いたくなりましたよ。
良いお話しをありがとう。

私は菊ちゃんとは一度すれ違っただけで、知ってるのは趣味の世界でだけですけど、今回は生の菊ちゃんの人生にちょと触れさせていただいた感じです。
昔の「吉右衛門の愛娘になりたい」と書かれた文章があったと思うのですが、私は成る程好きな人の妻や恋人なりたいというより、愛娘の方が変動がなくていい、素晴らしい発想だと感心したのですが、実際菊ちゃんがお父さんの愛娘だったんですね。

俺は娘が一人いるけど、正直いって、いつか、どこの馬の骨だかわからない野郎に持って行かれるのかと思うと胸が苦しくなるんだよなぁ。
だから、亡くなるまでずっと娘と一緒に暮らせた、菊ちゃんのお父さんが羨ましいよ。本当。
心配はしていたとは思うけどね、その反面、幸せだったと思うんだ。
ところで、さっきまでみんなで酒を飲みながら「ゴッドファーザー」を観てたんだよね。
何度観たかわからないけど、いいよ。
PARTⅡも観たくなったから、今、どこかにあるはずのDVDかビデオを探しているところ。
菊ちゃんも週末をゆっくりと楽しんで。

みなさん、こんばんわ!
なんだか今回はとってもプライベートなこと、というか、書こうかどうか少し迷ったのですが、
こうして書くことで何かを再確認したかったのかもしれません。
いろいろとコメントを頂いて申し訳ないくらいです。
本当にありがとうございましたm(__)m

♪.*:.。☆ .。.:*・゜゜*★,。・:*:・゜♪.*:.。☆ .。.:*・゜゜*★,。・:*:・゜♪.*:.。☆ .。.:*・゜゜*★,。・:*:・゜♪

*家具屋さん*
腕枕で添い寝してくれるのぉぉぉおお?!
お気持ちだけでも十分ですが、実際してもらってもいいなぁ~ヽ(^。^)ノラリラリ♪
でも重みで筋を痛めること必至です(^_^;)

*もとちゃん*
話したことを断片的には覚えている、と以前云ってたから、それだけでもいいよぉ。
それと、きょう、聞いたよ~。
ありがたくって嬉しくって涙がチロリと出ました。
本当にありがとう!(〃⌒ー⌒)/

*べにこさん*
お父様は外国航路の船員さんだったか~。
なんだかいいなぁ~。
昔はそういうダンナがいいなぁと思っていました。
いわゆる「亭主元気で留守がいい」っていうやつ。
でも、だいぶ大人になってからは、どんなに遅くてもいいから毎日帰ってくるひとがいい、
と思うようになりました。
なんでかなぁ~。
また、ゆっくり逢ってお喋りしましょう!(*^_^*)

*clusterさん*
うちのママはカワイイですよ~。
それと、きっと母以上に私のことを愛してくれるひとはこの世の中にはいないと思います。
TAROちゃんも小さいながらにきっとわかっているんだよね。
ちなみに父が亡くなってから、しばらくは寂しかったのですが、今は女ふたり、
かなり気ままにのん気に暮らしていてひじょうに楽しいです♪

*chiblitsさん*
父は何度か再発して、そのたんびに大きい手術を受けていたのですが、
そのとき以外はけっこう元気で普通に生活していました。
最後、肺に転移してからは呼吸が少し辛くなっていましたが、
不思議とガンの痛みというのがなくって、それには家族も助かりました。
やっとこの歳になって、愛情いっぱいに育てられたということが、
自分にとって一番の財産なんだと思えるようになりました。

*なしごれんさん*
男のひとと父親って、また違った感情があるんだろうなぁと思います。
よく、「自分が親になって初めて、自分の親の気持ちがわかった」と云われますが、
そうじゃなくてもわかってくるのでは?と最近思うのです。
どうなのかなぁ。

*ハラCさん*
実は、最近は「佐藤浩市の妹」希望なのです‥(^_^;)
これも意外とずっと繋がっているんですよねぇ。ふふふのふ~。
でも、お兄ちゃん(佐藤部長)にはずっと独身でいてもらわねばなりませぬ(>_<)ノ

*たーさん*
でもお嬢ちゃんのボーイフレンドに「カッコイイお父さん」と云われて
嬉しかったんでしょぉぉお?!ふふふのふ~(*^_^*)
私、パート2もかなり好きです。デ・ニーロがカッコいい~~!
うちのママは土曜日の深夜は「コンバット」→「逃亡者」→「ローハイド」と、
観るのがお決まりになっています。
一番観たいのは「逃亡者」らしいけど。

横レス、ごめんね。
>「自分が親になって初めて、自分の親の気持ちがわかった」と云われますが、
そうじゃなくてもわかってくるのでは?と最近思うのです。
親になるから気持ちがわかるというものでもないと思う。菊ちゃんのように感情豊かな人は子どもをもたなくても、他人に愛情を注げる人だから♪
菊ちゃんの周りの人も愛情たっぷりだよね~。ここはほのぼのとした場所です。

あと…
>うちのママは土曜日の深夜は「コンバット」→「逃亡者」→「ローハイド」
ママも可愛いだけじゃなくて、カッコいい!

ママは夕べも観ていました。
私は日曜の朝は『新日曜美術館』を見るんだけど、テレビのリモコンが見つからないことが
多くて、たいがい、母の布団の周りにあるんですけど~(^_^;)
私は見た目はかなりぬくぬくと温かそうなんだけど、中身は案外そうでもないのです。
フフフ‥

菊ちゃん、それも知ってる(^_^;)

俺も知ってるー。
冷たいわけじゃないけれど、案外つれないんだよなー。
でも、本当はわざとそういう風にしているんだよね。
素直じゃない、というか、なんというか、だねー。
可愛げがないわけじゃないんだよなー。
あー、飲みすぎてわけがわからなくなってきたよー。
まー、そこがいいということで、おやすみー。

*clusterさん*
ご存知?のほほほ~(^◇^)

*もとちゃん*
いや、実は相手に寄るのよ~ん。
ふふふのふ~(^u^)

ぶっ…(笑)
菊ちゃん、ばれてるよ。
でも私もそこがいいんだ~
かわいいんだ~

f(・_・;) ポリポリ

菊ちゃんのお父さん、お母さんの細やかな
愛情が手に取るように伝わってくるお話でした。
目頭が熱くなり、鼻水が滝のようです。。。
愛情をたっぷりと注がれて育った菊ちゃんが
本当にうらやましいです。
そしてずっと傍らに在る、お父さんの椅子も。
いつもそばで見守ってくださっているのですね。

*sunnyちゃん*
愛情とともにエサもたっぷり与えられたおかげで‥(^_^;)
ちなみにママは結婚当初は体重は38キロ、ウエストは55センチだったそうですが、
××年かかって家族みんなで太ってしまい、ママの体重もウエストも
それぞれ20づつ増えてしまいました~(>_<。)
今住んでいるボロ家も戦後、父と祖父がコツコツと建てた家なのです。
ビルに囲まれているので台風が来てもどうにか飛ばずにいます。

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