ふたりぼっち
『誕生日は、この世に産んで、それまで育ててくれた母親に感謝する日です』
もう15~6年くらい前だったかもしれないのだが、淀川長治さんの本に書いてあった、その言葉を見てから、「そうだよねぇ、いい加減、誕生日だのクリスマスだの、誰と過ごすだの、イベントに一喜一憂するのもカッコ悪いような気がする。生きていれば、年に一度は必ずやって来るんだし、毎日、年に一度はやって来る誰かの記念日だ。だけど、プレゼントは嬉しいけっどー。」と
何故か思うようになり、誕生日に特別に何かしなくてもいいようになった。
でも、母に感謝の言葉を云えるようになったのは、ここ数年のことだ。
きっと誰もが、親から貰ったあふれるほどの愛を返せないまま親を亡くして、「何にも返すことできなかった」と感じるのだと思う。
よく、子供が生まれてから3歳くらいまでに、親はそれからの苦労に値するくらいの幸せを子供から貰う、という話を耳にする。
子供はそう思うことで、「何も返すことができなかった」気持ちを和らげているのだ。
そうでも思わなきゃ、後悔ばかりが押し寄せてしまうから。
「今年も元気に誕生日を迎えることができました。ありがとうございました。」
口に出すのはとっても照れくさい。
でもね、黙っていても分かり合えることって、そんなに多くないと思う。
まだ、20歳になったかならないかの頃、ありがとう、と、ごめんなさい、は声に出して云うものだと云ってくれたひとがいた。
今になって、そういうことを云ってくれたひとがいたことを本当に感謝している。
母は、「いいえ、どういたしまして~」と今年も笑いながら答えてくれた。
私の誕生日のちょうど2週間後が母の誕生日だ。
母は今年で80歳になった。
自分のことだけではなく、今でも私のご飯を作ってくれて、お針子さんもしてくれる。
眼鏡は持っているのだが、たいがいのことは今でも裸眼でOKだ。
自分の足で買い物にも病院にも行く。バスにも電車にもひとりで乗って行く。
母くらいの歳になったら、今度はやはり周りが「元気でいてくれてありがとう!おめでとう!」と祝うべきだろう。
ふたりで静かに懐石料理でランチをした。とっても美味しかった。
旅行に良さそうな服をプレゼントした。
「こんなのが欲しかったのよ~」と喜んでくれた。
9人兄弟の長女で今でも弟妹たちから頼りにされている。
私が母の兄弟から可愛がられているのは、母あってのことだ。
その母の弟妹たち、私からすると叔父叔母たちが、母の80歳のお祝いをしたいから、というとこで、母を連れて名古屋の叔母宅へ行くことになった。
付き添い、という名のまさしく便乗して旅行しようというちゃっかり娘が付いてネ。
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