友を選ばば書を読みて。
『ソーネチカ』 リュドミラ・ウリツカヤ著/沼野恭子 訳(新潮社)
私は翻訳ものが苦手だった。いや、今でも苦手だと思う。
面白いよ、と云われて買って読み始めて途中で止まったまんまの翻訳ものが数冊ある。
なにが原因なのかは自分でもわからないのだが、特にミステリーがダメなのだ。ミステリーは大好きなのに。
そんなことを友人たちに話したことがあった。
そのときに薦められたのが新潮社から発刊されていた“新潮クレスト・ブックス”だった。
「このシリーズだったら、菊ちゃんも最後まで読めるんじゃあないかなぁ」と云われて初めて読んだのが『朗読者』。
かなり評判になった本なのでご存知にかたもいるかと思うが、私も涙がじゅるると出てしまった。
それと本の装丁が素晴らしくて感動した。
BARでたまにバッタリ逢っていろんなお話をするお兄さんに、ちょうど持っていた『朗読者』をバッグの中から取り出して、「この装丁や造本が素晴らしいのぉ~」と説明したくらいだ。
それから、少しづつだけど翻訳ものも読めるようになった。
そんなある日、「菊ちゃんにオススメなんだよ~」と云われた。
「どうしようかなぁ~、今度のお給料日にでも買って読んでみようかなぁ~」と考えていると、ちょっと早いクリスマスプレゼントとして2冊のクレスト・ブックスが届いた。
とっても嬉しかったので、お気に入りの江戸千代紙でカバーをつけた。
先日、そのうちの一冊『ソーネチカ』を読み終えた。
静かに本を閉じるときの幸福感はいったい何だったのだろう。
帯やカバーに書いてあるコピーは、
「本の虫で容姿のぱっとしないソーネチカ。
最愛の夫の秘密を知ったとき彼女は‥‥。」
「神の恩籠に包まれた女性の、静謐な一生の物語。」
内容は好き嫌いがあると思う。
感動したひとがエライわけでもなく、そうじゃないひとがいて当たり前だと思うのだ。
主人公のソーネチカは、世間でいうところの「勝ち組み・負け組」や損得で考えると、明らかに負け組みで損な人生かもしれない。
ひとによっては、「容姿がぱっとしないから私はこれで十分」ってことじゃあないの?と云うかもしれない。
しかし、所詮どれもこれも他人の眼からみたことなのだ。
それなら、精神的に豊かってことか?と考えるかもしれない。
誰しも心のどこかに「精神的に貧困」な部分を持っているから。
私はソーネチカはそんなことすら考えていないようにさえ思えた。
そんなひとの人生を小説とはいえ自分の引き出しに入れてしまったのだ。
賞賛もせずに、つきはなしもせずに自然に生きてきただけ。ただそれだけ。
自分はそんなふうには到底生きられないからこそ、この静かな余韻が心地よいのかもしれない、と思った。
本でも映画でも音楽でもなんでも、すべてが気の合うひとなんているわけがない。
でも、ココロのずっと奥にある振り子がカチカチカチとなることがあって、それが好いふうに振動しあうことがある。
男だの女だの愛だの恋だのでは計れないもの。
いろんなひととのそんなものが少しずつでいいから増えていくといいなぁと思っている。
せぇの、って背中をポンと押してくれたSクン、ありがと。
風邪、早く好くなるといいなぁと遠く鹿児島の空を見ながら思った午後。
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