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2006年9月

2006年9月30日 (土曜日)

L’amore e’cieco

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すっかり、Love is blind な菊ちゃんと思われがちな私だが(そうじゃないのか?!)、
もう秋なんだし、そろそろ手作り再開しようかなぁと思っている。
夏にめっぽう弱い私は、ある意味、夏が冬眠というか夏眠というか、ジィ~ッと涼しくなるのを待っていたのだ。

フト、部屋の隅っこを見てみると紙袋がずっと置きっぱなしだ。
それは夏に作ろうかなぁと思っていたスカートの生地。
っといっても古い着物で、作る前にほどかないといけないのだ。
なので、ほっといていたのだが、見ていると作りたくなってきた。
そんなとき、楽しそうにサスペンスドラマを見ている母を発見!
「ママ上、ヒマぁぁぁ?」と聞いたら、ヒマじゃないというが、着物をほどくのは主に母の仕事(?)なので、着物を小さいハサミを渡して「プリーズ、マミィ」とお願いした。
ハサミを渡されてジッとしていられない母は、サスペンスを見ながら着物をほどき始めた。

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このスカートは母が20代の頃、昭和20年代に普段着として着ていた鹿児島紬で、水害のあと洗い張りにだしてあったのでほどく必要がなく、そのまま柄合せをして作った。
もともとは黒地だったそうだが、長い年月のあいだに色あせして茶色がかった黒になっている。
柄が意外にモダンで大胆な色あわせなのでスカートにしても負けない何かがある。
柄あわせをしなかったら2枚スカートが作れたのだが、それは譲れないので残った布は取っておいてまた何かを作る。
実際見ると絹独特の光沢があって、しかも軽い!

 
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これは京都の東寺の市(弘法さん)で買った古い道行をほどいて作った。
古いので今着ようとすると普通の体型の人でもやや小さいのだが、実はこの道行は表もさることながら、裏地がとぉっても気に入って買ったのだ。
昔の道行、羽織は裏地がステキなものが多く、特に男物はカッコイイ裏地があって、骨董市などでハギレの山から「いいなぁ~」と手にとってみると男物の羽織裏だったりする。
このスカートは黙っていたら着物地とは思えないくらいモダンな柄なので、「もとは道行なんだよぉ~」と云うとビックリされる。
そのままよりも裾に黒を持ってきたほうが締まるような気がしたので、黒のシャンタンをつなげた。
「きょうはパーティ?」と云われそうなスカートなのだが、結構普通に着ている。
見た目よりも軽くて、しかも暖かいのだ。
秋冬には着物地(絹)はとっても向いているような気がする。

紬のも道行のも、小さい穴やキズがあるのだが、そういうところはウエストのほうへもってきて目立たないようにしている。
あと裏打ちしているところもある。
縫う前には洗濯機の手洗いコースでジャブジャブ洗って、ある程度縮ませてしまう。
っといっても、そんなには縮まないのだが、あとあとも洗濯機の手洗いコースで洗うためには必要不可欠なのだ。
そうじゃないと、いちいちクリーニングに出さないといけなくなってしまう。
んな、もったいないことはしないのじゃ~。

 

1_49 ←城山界隈

昔の博物館→2_51

昨日、久しぶりに美術館に遊びに行き、帰りに裏通りをブラブラ散歩した。
こじんまりとしたお店が並んでいる。
昔の博物館の写真を撮ろうと敷地へ入ると犬を放し飼いで散歩させている人がいた。
写真を撮っていると、土佐犬とブルドッグを足して二で割ったような苦みばしった顔の犬(種類がわからん)が寄ってくるのだ。
可愛くないけど、飼い主にとっては可愛いんだろうなぁと思いつつ、イヌに向かって「変な顔~」と呟いていたら、飼い主らしき女性が「そのケーキが気になっているんですねぇ~」と云ってきた。
変な顔のイヌもMOKUのケーキは気になるらしい。
もちろんあげないけど。
イヌは私が歩いていっても、まるで後ろ髪引かれるように私を見つめていた。
いや、MOKUのケーキの箱をか。

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ブラブラのんびりの散歩は、いい気分転換になったのかもしれない。
母は今度はチャングムを見ながら着物をほどいている。
明日はジャブジャブ洗ってアイロンをかけよう!

*追記*

晴れたのでジャブジャブ洗い、一時間くらいかけてアイロンもかけた!
なんだか少し麻が入っているような気がした。
夏向きかなぁ‥。でも冬もリネンっていいよね、きっと。

2006年9月26日 (火曜日)

赤い薔薇ソースの伝説

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映画のキャッチフレーズは「あなたはまいにちわたしを食べる」‥。
こう書くと、なんだか違うイメージにとられそうなのだが、官能的だけどそれだけじゃあない、
『赤い薔薇ソースの伝説』。
私が初めて観たのは10年くらい前だったと思う。
最初からどっぷりハマってしまったような気がする。

主人公のティタは末っ子だというだけで好きな人と一緒になることもできず、一生親の面倒をみないといけない、というのだ。
そのティタが好きになったペドロは、一緒になれないならせめて近くに、
とティタの姉と結婚してしまう。
台所で生まれたティタが、その結婚式に作った料理。
ずっと編み続けられる毛布。
そして、要所要所に出てくる炎。
すべてが私の心のなにかに触れたのだ。

原題は『Come aqua para chocolate』。
「チョコレートに使う水のように、この水は3回沸騰させなければならない」とか、
「チョコレートを溶かす湯のように熱い情熱と性的欲求」とか、いう意味らしいが、友人いわく、
メキシコの慣用句で 『沸騰寸前』 らしい。
ラストなど、ちょっとそれって‥という感もあるのだが、ティタをしばっていた “ 家 ” とともに灰になってしまうのかなぁと思いながら観ていた。
なぜ、泣いてしまったのか、と思うのだが、それは女だからなのかなぁとも思った。
それから、玉葱を刻むときに出る涙も少しだけロマンチックなものになった、‥かもしれない。

 
Photo_115 合鴨とオレンジのミモザサラダ

この映画をみたあとは、美味しいものが食べたくなる。
もちろん、自分で作って。
私は薔薇ソースはなかなか出来ないのだが、オレンジ色のミモザソースは簡単なので作る。
合鴨のローストとオレンジはとっても相性がよく、サラダにピッタリだ。
オレンジをいちいち房から切り外すのが好きなのだ。
サラダのためだけに、1個オレンジを買うわけもなく、残ったオレンジはママレードになる。

2_50 紅茶とオレンジのママレード

いつもはオレンジや他の柑橘類だけで作るのだが、今回は紅茶を入れて作ってみた。
すると、いつものママレードとはかなり違った味になり面白かった。
ライチとラズベリーでジャムを作ると香りが薔薇っぽくなるそうだ。
今度、ぜひ作ってみようと思う。

 
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それでも、相変わらずおバカは治っていない菊ちゃんであった。

2006年9月24日 (日曜日)

お彼岸

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        ↑ お坊さん登場            ↑ 法要中(本日はお坊さんは5人)

今日は午前中、お彼岸会法要の参拝にお寺へ母と出かけた。
きょうは休日ということもあり参拝の人も多く、参拝者のなかではかなり若手である私はもちろん椅子に座るわけにもいかず、ご法話までいれると1時間半、正座→横座り、を繰りかえしていた。
さらに今日は叔父の祥月命日なので、そのあと本堂下のお部屋で、その法要もあり、また30分正座。
そのあと、予約していたマッサージにダッシュ!

いつも行くマッサージの先生の都合が悪く、きょうは違うところに行った。
そちらも、いつも行くところの近くなので、帰りに先生の奥さんのいるニットカフェに寄ってみた。
奥さんが出してくださったコーヒーを飲みながらお喋りしていたとき、窓の外を作務衣をきた青年が歩いているのが見えた。
するとその作務衣の青年がニットカフェに入って来たのだ。
初めてではないらしい彼は、やりたい仕事の修行のために鹿児島に来て3年目で、バイトをしながら勉強しているらしい。
落ち着いた静かなカンジの青年なのだが、奥さんが云うには折り紙が得意だというのだ。
そして自分で酵母を作ってパンを焼いたり、バターを使わない美味しいケーキを作ったりするというのだ。
カフェのウィンドウ側に置いてある彼の作品を見せてもらった。
ネコやカメ、キツネやカブトムシなどなども好いのだが、箱に入った仮面ライダーのいくつかのお面が面白かった。
写真を撮らなかったことを今後悔しているのだが、それはちゃんと色分けしてあるお面なのだ。
「え?こういう折り紙が売っているのぉ?」と訊ねたら、「自分で作るんです」という答えが返ってきた。「えぇ?!作るぅぅ?!」
よく話を聞いてみると、一旦、白い紙で折ったものに色指定したものを広げて、それをパソコンで色分けした色紙をおこし出力して、それをまた折るのだ。
すると同じ仮面ライダーのお面がいくつも出来るのだ。
聞いていると、かなり気の遠くなるような話に思えるのだが、坦坦として作っているかも、と思った。
話をしていて思ったのだが、目標が定まっているからかもしれないが、どこか潔く生活しているように思えた。
奥さんと彼と私の3人で3時間くらいお喋りしていたと思う。
っといっても奥さんと私が主に喋っていたのだが。

夕方になったので歩いて帰る私は同じく歩いて帰る彼と途中まで一緒に帰った。
作務衣の彼は履物は下駄なのだが、それが一本歯の下駄なのだ。
履かせてもらったのだが、私にはまるで竹馬のようでフラフラ~。
身長177センチに加えて下駄なので頭ひとつ分以上高い。
私は叔母の家に寄るため、途中で別れた。
今度、ケーキを作ってもらうことを約束して。
彼は一本歯の下駄でサッサッと歩いて行った。
見ていたら、落ち葉を掃いているおばあちゃんに挨拶していた。
面白がっているわけではないが、なかなか興味深い青年に出会ったお彼岸の日であった。

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叔母の家の玄関先にある葉っぱが赤く色づき始めていた。
秋の足音を聞いたようだった。

1_48 叔母の家の近くにあるラブリーな雑貨屋

叔母の家からまたテクテクと歩いて帰った。
いつもマッサージのあとは散歩しながら家まで帰る。
汗かきの私は、真冬以外、家に着く頃には汗ビッチョリになる。
実はそれが後々スッキリして気持ちいいのだ。

Photo_113 夜の甲突川

甲突川に架かる橋を渡ると家が近づいてくる。
夜見る川面は明かりが映り、心なしか澄んでいるように思える。
なにもない時代には水が澄むように、人は持つものが少ないと心がキレイなままでいられるのだろうか。
そんなことをフト考えながら帰路についた。

2006年9月20日 (水曜日)

謎のツーショット。

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あまりにも可愛いすぎて見せずにはいられなくなったの。

異人さんに連れられて行っちゃったぁ♪みたいでしょ?

 
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母が温泉に行っていないのだが、サラダとラインのソーセージとチーズでビールを飲みながら、音楽ビデオを観て聴いて楽しんだ。
aikoと松田聖子は一緒に唄い、サヴェージ・ガーデンで気持ちよくなり、マッキーの『ヨイトマケの唄』に涙がホロリ。
また明日も頑張れるかもしれない。

2006年9月18日 (月曜日)

嵐のあとに。

5_2 15_2 ←オダギリくん!

 
台風が来るということで、一昨日の夜から家にずっと居た。
栗を頂いたので一晩水に浸していた。
買って読んでいない本が何冊もあるので、その中から1冊読み始めた。
フト、気づいた。
私はこんなにもオダギリジョーが好きだけど、生年月日も血液型も知らない。
そういえば、“ オダジョー ” でサイトを検索したことさえない。
‥というわけで、少しだけオダジョー関連のサイトを覘いてみた。

最初の頃は身長176センチ・体重58キロだったのだが、この頃は、体重は60キロになっていると知った。もっと体重あるかと思ったけど、実際逢ったら痩せてるのかなぁ~。
誕生日は1976年2月16日。多分、水瓶座。血液型O型(同じ)。
ってことは、相性がいいのけ?と勝手に想像した。占いに全く興味がないくせに。

これくらいみたら、どうでもよくなってきた。
いや、オダギリジョーがじゃなくって、経歴とかモロモロのことが。
前に書いたが、私は佐藤浩市が20年以上好きなのだが、自慢じゃないが未だに生年月日も
血液型も身長体重も知らない。大沢たかおだって同じだ。
私は役者として観ていればいいのだ。
スクリーンの中の彼らがすべてなのだ。あとはおまけのようなものだから。

てなわけで、安心(?)して読書に戻った。
そして、母が栗の鬼皮を剥いてくれたので、渋皮煮を作るべく鍋に水と重曹をいれて栗を煮始めた。
重曹を入れた水で茹でてはアクをとり、湯でこぼして今度は水だけで茹でる。
そして水にあげて、その中で優しく渋皮のめくれをとる。
これを水が透明になってアクがなくなるまで繰り返す。(4~5回くらい)
そして、砂糖を入れて茹でたあと一晩置いて味をしみこませる。
私はグツグツ煮込みながらアクをとる、というのが結構好きだ。
音楽を聴きながらね。

途中でどうしてもいくつか栗が煮崩れてくる。
それは皮を外して、漉して砂糖を合わせて、栗きんとんにしてみた。
っといっても、少しなので3つしか出来なかったのだが‥。
一晩置いた栗を取り出したあと汁を煮詰めていく。
少し残っていたラム酒を入れてみた。
煮沸消毒した瓶に汁ごといれて保存する。

2006918 お食べやす~。

私の料理は知っている人たちに云わせると『お嬢様料理』なのだ。
自分が作りたいときしか作らない。勝手なものだ。
それでも大切にしたいなぁと思っていることがある。
それは「手間隙かける」ということと「手塩にかける」ということだ。
毎日の生活のなかでは、簡単にパパパッと美味しいものが出来るに越したことはない。
だけど時々、ちょっと手間隙かけてみる。
すると、ちゃぁんと食べ物は答えてくれるのだ。
それを知ってからは今まで面倒くさいなぁと思っていたことも不思議と平気になった。
そういえば、コーヒーだって、イライラしながら炒れたときってすっごくトゲのある味がするし、
「美味しくな~れ、美味しくな~れ」と思いながら炒れると、あら不思議、本当に美味しくなってたよねぇ、と思い出した。

きょうは晴れたり、時々にわか雨が降ったりしていた。
渋皮煮を食べながら、また少し読書をした。
台風と一緒に私の中のオダジョーハリケーンもどこかへ行っちゃっただろうか‥。

Photo_111 んなことないのじゃ~。

2006年9月15日 (金曜日)

ゆれる

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鹿児島の映画館に問い合わせてみた。
『ゆれる』の上映予定はあるのか、と。
  「今のところ、上映予定はございません」
もう我慢できな~い!観にいくのじゃぁぁぁああ!!
オダジョーも「菊ちゃん、来ないの?」って云ってたし。(←かなりの妄想)

 
2_44 オダギリジョーの弟

1_43 香川照之の兄

私は知ってのとおり、オダギリジョーがスキスキ大好きなのだが、それだけだったら、わざわざ安くはない交通費を出してまで観に行ったりしないのだ。
共演が香川照之だからだ。
今、活躍している俳優のなかでダントツの演技力で、こちらも大好きな役者なのだ。
どちらか片方だけだったら、きっとDVDになるのを待っていたと思う。

『ゆれる』は、橋の上で起きたことで変わっていくひと、変わらないでいるひと、吊橋のようにゆれるひとの心を描いている。
今までみたことのないオダギリジョーがいる。
“ただの男” のオダジョーがいるのだ。
それよりも香川照之は、一体なんなんだ。何の恨みがあって、こんな演技ができるのだ?と思うくらい素晴らしいのだ。
散々、上手い、巧いと言われているひとに今更ながら言うことではないのだが、少し怖くなるくらい。
だからといって、あからさまに「上手いだろ」といった雰囲気を全くといっていいほど感じさせないのだ。
悲しく厳しい話なのに、見ていて重たい感じがしない。
透明なかんじすらするくらいなのだ。
だからこそ監督はこの二人を選んだのかもしれない。
心にはかなりズシンとくるのだが。

オダギリジョーが以前、云っていたことを思い出す。
売れない頃、浅野忠信の仕事を見ていて羨ましかった。ああいう仕事がしたい、と思っていた、と。
そして、今は自分がそういう風に見られるようになった。
でも、自分はそういう風になりたいのではない、と。
売れない役者の卵ではなく、現役で活躍している俳優、役者仲間に、「あいつの仕事いいなぁ、くやしいなぁ」と思われるようになりたいのだ、と。

『ゆれる』のオダギリジョー、そして香川照之をみて、何百何千という俳優たちが、羨望と嫉妬を感じていることだろうと思う。
オダギリジョーの顔や声はもちろん意識のなかで残っているのだが、フッと思い浮かんでくるのは、ラストの香川照之の顔と、洗濯物を畳んでいる香川照之の背中なのだ。
涙が溢れ出してしまいそうになるくらいの顔と、
胸がギュウウゥと締め付けられるくらいの背中が。
二度と出逢えない映画が終るころ、寂しくなった。

 
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一体、何の目的があるのだ、私は‥。

余談だが、この世の終わりが来るとしたら、今の私は母と二人、父の写真やお位牌を持って抱き合って死んでいく予定(?)だったのだが、予定変更することにした。
お母様、親不孝を許してください。私はオダジョーとキスをしながら死んでいくことに致しました。
え?オダジョーの気持ち?! そんなの無視無視♪ ヽ(^。^)ノ ラリホー☆

2006年9月14日 (木曜日)

休日の過ごし方 その2。

Photo_103 愛すべき映画!

午後からは 『 かもめ食堂 』 を観た。
抱きしめたい映画だった。
映画のなかに出てくるものが何から何まで私の中の乙女心の琴線をバチンバチンと弾くのだ。
お洋服やインテリアや雑貨が、そしてお料理が少しでも好きな女性がこの映画をみて何にも感じないとしたら、それはもう大人の中の “ 女の子 ” がきっとなくなってしまったのかもしれない、と思った。断言はできないけどね。
劇中に小林聡美扮するサチエが何度かプールで泳いでいる。
最後のプールのシーンでなんとなく思った。
もしかして、このプールはサチエの母親の胎内のようなものなのでは?と。

『かもめ食堂』を、おとぎ話のように思うひともいるだろう。
「絵空事(ファンタジー)ならではの真実味(リアリティ)」という言葉を何かで眼にしたことがある。
一見、自由な女性達がいる。しかし、自由というのは切なさや寂しさや哀しみも伴っているのだ。
だからこそ、自由なのかも、と。
自活する、自立するということは誰の手も借りないということではないのだ。
ひとりでは生きていけない、と気づくことだと。

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ステキなパンフを買って、ロビーを出ると、友達が待っていてくれた♪
  

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ショートブレッドなど、イギリスやスコットランドの伝統のお菓子を作っている
『トミーズ・ショート・ブレッド・ハウス』
じたんだするくらいラブリーなお店!!
私が行かなくって誰が行くっていうの?と云いたくなるくらいハートにドキュン♪な状態になってしまった菊ちゃん。
      

1_35 Ange Michiko
Photo_105 友達から貰ったお土産♪

おフランスの紅茶と上質な材料で丁寧に作られたチョコやケーキなどのお店の
『Ange Michiko』にも行った。
中に入れば、ここが美味しいお店であるとすぐわかる。
卵白を使わないマシュマロ(フランボワーズ)や三日月の形のへーゼルナッツのクッキー、そしてシトロンなカトルカールを買った。
友達からもお土産も貰った。
家に帰ってから包みを開けたら、バラ色のカトルカールが入っていた。
いくつかのベリーやカシスを使って作ったその名も『ローズ』というケーキだ。
美味しいものは人の心も笑顔もシアワセにするのだ。
(シトロンのカトルカールを食べた。美味しかったぁ!生地のきめ細かいこと!)
        

Photo_108 鶴屋の屋上がちょっと気になった。
 

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隠れ家のようにビルのなかにひっそりとあるカフェに行った。
とぉ~ってもステキなお店なので出来れば教えたくないくらい。
っていうか、どのお店も教えたくないくらいなのだ。
行ってみたいかたは、どうにか探して行ってみてネ。

 
そんな私の休日もそろそろ終わりの時間だ。
友達と別れて電車に乗って駅に向かった。

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萩原朔太郎は、「近所の煙草屋に行くのも旅だ」と云っていたそうだ。
この私の休日は旅だったのだろうか。
旅の終りは少しだけ寂しい気分になるものだ。
列車を待つ時間が妙に長く感じた。
でも、列車はやってくるのだ。
そして、家へ帰ろう!

      

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え?!『ゆれる』のことは書かないの?!って思うでしょ?
もちろん書くのだ。今度ネ。
書かないわけないのじゃ~。(@^^)/~~~

休日の過ごし方 その1。

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観たい映画もあるし、久しぶりに友達にも逢いたいし、ちょっと熊本に行って来ようかなぁ~、と思い立ち、早起きして駅に行った。
まずはスタバでモーニングをして腹ごしらえなのだ。

Photo_91 『つばめ』に乗るのじゃあ~!
Photo_92 車内はゆったりとした造り。
Photo_93 ひとときの読書タイム。
Photo_94 少し雨が降ってきた。

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熊本駅に着いた! 電車でGO!

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映画館のある新市街に着いたのだが、映画が始まるまでだいぶ時間があったので、少しプラプラと散歩をした。
通称 “ シャワー通り ” は雨降りのおかげ(?)でまさしくシャワー状態。
アーケードのなかでは酔っ払ったお兄さんが気持ちよさそうに大の字で寝ていた。

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マンホールなどのデザインがラブリーなのだ。
消火栓の蓋などは持って帰りたいくらい。

 
そして、映画 『 ゆれる 』 を観に映画館へ。 

4_3 オダギリジョー!!

映画が終って外に出たら、友達が待っていた。
久しぶりぶりっ!

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ランチをするために、二人で小さい小路へと入っていった。
どんなお店なんだろうネ♪

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雑貨とカフェがひとつになったステキなお店でランチをした。
映画 『かもめ食堂 』にちなんだメニューもあった。
次に見る映画の時間があったので、雑貨はまた今度来たときにゆっくり見ようと思いながら、ひとまず友達と別れて私はまた映画館へ。

Photo_102 路地の途中にあった可愛いお店。

  
         *つづく*

2006年9月13日 (水曜日)

PREVIEW

2_33

* 只今、準備中 ♪

2006年9月11日 (月曜日)

がんばらない。

Photo_75 ←ちょっと休憩

もともと私は、『努力・根性』といったモノがないほうだ。
しかも、努力したり根性だしたりしたとしても、それを表面化するがイヤというか、こっ恥ずかしいというか。
全くカッコつけてんじゃないよ、と思うひともいるだろう。
私はかなり、“ 甘ちゃん ” なのだ。 決して、お嬢ではないが。

そんな私でも、精神的にちょっと疲れたなぁというときや、これでいいのかなぁと思うことがある。たま~に。
そんなときに、ノォトを開いて読んでみる詩がある。
茨木のり子さんの代表作でもある 『 自分の感受性くらい 』 という詩だ。

「基本にかえる」ということがある。
それは人それぞれで、きっと中には「え?コレが基本なの?」と他人からみると感じることもあると思う。
そして、それはひとつのひともいれば、いくつもあるひともいるだろう。
私にとって、『 自分の感受性くらい 』 は、いくつかのひとつだ。

20歳前半に、この詩を知ったときには、後頭部をハンマーでバゴ~ン☆と殴られたような気分だった。
すべてが当てはまる自分がいたようなショックがあった。
そして、この詩に出逢えて好かったと思うようになろう、と思った。

それから何年も経つ。
今も、時々思い出したようにノォトの書かれたこの詩を読む。
少しは、「この詩に出逢えて好かった」と思うようになったのだろうか。
がんばらない私は図々しくも思うのであった。

Photo_77

ちっとも見守ってもいないし見守る気もないのに、
このような絵を描いて友達に送っている。
でも、思いがけず、「抱きしめたい気分になった」と云われて、
ちょっと有頂天になっている おバカな私であった。
いろんな人たちに見守られてずっと生きてこられたことを感謝しつつ‥。

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    少しづつ置いています。覗いてみてネ。

映画の記録ノォト

  • BLUE MOON
    観た映画を忘れちゃう前にメモしておこう、と思っていたのにすでに忘れています‥。

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