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すっかり街はクリスマスで、そんなにエスさん(キリスト)の誕生日を祝いたいのか?!と思う今日この頃、クリスマスプレゼントももちろん嬉しいが、思いがけないプレゼントというのは、もっと嬉しいよねぇ~としみじみ思った。
今年の夏から秋にかけて弘前で奈良美智の大規模な展覧会があった。
とっても行きたかったのだが、時間的にも予算的にも無理だった。
なにしろ鹿児島から弘前は、ハワイやオーストラリアに行くツアーよりも高いのだ。
グスン(>_<。) となっていた私のもとに福島の友達から嬉しいものが届いた。
図録が展覧会開催中には発行されていなかったそうで、たぁ~くさんのカードを送ってくれたのだ!
しかも、『A to Z』のイヌもね。
『A to Z』のHPは何度も覗いた。
そのたんびに「いいなぁ~いいなぁ~~」と、うなっていたのだが、展覧会を見にいった友達からシアワセのお裾分けを貰った。
ありがとぉぉぉぉー!!
ちなみに、『A to Z』を記念したカップ酒も出ている。
もちろん持っているよ~~ん。
美味しいものが好き、という友達が多い。
まさしく、類は類を呼ぶということだ。
とっても美味しいオリーブオイルと大好きなベーグルなどなど、美味しいものがいっぱいの詰め合わせが届いた。
オリーブオイルはバゲットやフォカッチャにつけて食べるとヴォーノ・ヴォーノ☆
さらに、アンリ・ルルーのキャラメルも~~!
手作りのキャラメルの美味しいことったらぁ。
ますます体が丸くなっていくのは眼を瞑って・・・。
週末、体調が悪く、仕事から帰ってからはずっと寝ていた。
姪っ子が来たような気がしたのだが、イマイチ覚えていない。
夜になってちょっと気分が好くなって起きると枕もとに姪っ子がゲーセンでゲットしたものが置いてあった。
姪っ子よ~、ありがとよぉぉぉ~~!
今年は玄関に靴下ぶらさげて置こうかなぁ~。
私は手芸の本や雑誌を見るのが大好きだ。
そして見ながら頭のなかで「こんな風にして作って~」といろいろシュミレーションするのが好きなのだ。
もしかすると、作るよりもこういうシュミレーションのほうが好きなのでは?と思うくらい。
そんな私も頭のなかだけで考えていたモノをたま~に作ることもある。
私はちょっとだけトリさんのモチーフが好きだ。
本や雑誌でトリさんの鍋つかみを見てから、ずっと頭のなかで「おいらもおいらもっ!」とトリさんの鍋つかみを描いていた。
でも、また違う手芸本をみたら違うモノに目が行き、トリさんはどこかへ飛んでいってしまう。
そういうことを繰り返しているうちに突然「作るべ!」と作り始めた。
もちろん型紙は自己流で作って、チクチクと縫い上げてみたら、あらラブリーじゃあないのぉ~。
ただ、あくまでも私サイズのため、手をいれるポッケが小さいと手にした友人知人に云われた。
なので、そのあと少し改良した型紙を作った。
でも熱い夏が来てしまい、そのまんま~~。
いつの日か、2羽、3羽と仲間を作ってあげたいんだけどなぁ。
そして、大好きな人たちのもとへ羽ばたかせたいのだ。
ず~っと文通している友人がいる。もう20年くらい。
その友人にはどうしてもティーコゼをプレゼントしたかった。
でも、コレといった布が決められずに随分たった。
その間も「イニシャルを刺繍したい」「デイジーをいれたい」とシュミレーションを繰り返していた。
ある日、布地屋さんで「コレ!」と思った布を見つけた。
花柄で子供っぽくなくってちょっと上品なカンジの布。
作っているとき、なんだかとってもシアワセだった。
特に刺繍してるとき。
これは自分でもすぅっごく気にいっているモノのひとつだ。
シアワセのお裾分けはいつのまにか自分自身をハッピーにするのだと気づいた。
小さい頃からチロルチョコが好きだった。
大人になってからも、いろんなチロルが出てきてワクワクした。
包み紙は集めようと思っていたわけではなかったが、気が付くと家にあった。
自分だけのノベルティグッズを作りたかった。
数年前に美術館で 『アート!新スタイル展』 という鹿児島出身の現代アート作家数名によるコラボのような展覧会があった。
そのなかに藤浩志さんのビニプラコーナーがあり、頼まれてもいないのに「コレもビニプラかも~」と勝手にチロルバッグを作った。
この世でひとつのチロルのノベルティバッグ。
そのときは次も作ろうと思っていたが、けっこう面倒くさかったのでそのまんま~。
でも、チロルの包み紙は今だにとってある。目的は不明。
たま~にあみぐるみの注文がくる。
なので領収書を作った。
必要なのか?と聞かれると「いや全然」と答えるだろう。
でも、ずぅ~っと作りたかったのだ。
っといってもパソコンで作ったので10枚くらい。
しかも注文するのは知り合いが多く、領収書はいらない、って云われるのだ。
みんな、領収書は貰ってくれぇ~。税金は変わらないと思うが。
寝る前に布団のなかで手芸本を見る。
至福のひととき。
夢見心地で眠られるのだ。
もう10年以上も前に読んだ本のことを書くのはいかがなものだろう。
そう思ったのだが、どうしても書きたい本のことがいくつかある。
さらに本というのは映画と違って、あとでDVDになる、BSで放送される、というようなことはなく、
文庫本になっても品切れ・絶版になることが多い。
昔からの知り合いのひとたちはコピーの冊子等で読んだことがあるような本の話をたま~に目にするかもしれないけれど、「そういえば、そんなこと言ってたかも‥」ということでよろしくネ。
10年以上、いや15年以上前くらいにはなると思うが、高橋克彦の『北斎殺人事件』を読んでからずっと私は “北斎隠密説” を信じている。
だからもちろん、私にとって北斎の娘・お栄も父親の跡を継いで隠密なのだ。
他の北斎に関する本を読んだり映画を観たりしても、それがどんなにおもしろくても、私のなかの“北斎隠密説”は揺るぐことはなかった。
しかし、『応為坦坦録』を読んだあと、「北斎は別として、お栄はもしかするとこっちのほうが
‘らしい’ような気がする」と、ちょっぴり思ってしまった。
「応為」というのは、北斎の娘・お栄の画号だ。
北斎が名前を呼ばずに「お~い、お~い!」といつも云っていたのでこの画号になった、というのが一番伝わっている説だ。
『応為坦坦録』はタイトルどおり坦々とお栄と北斎や、そのまわりの人々のことが描かれている。
話し言葉のテンポがよくって、まるですぐそこでお栄たちが話しているような気にさえなる。
そして最後の一行に胸がギュッとなった。
それと、読み終えたあとの爽快さは一体何だったのだろう、と思った。
お気に入りの時代劇の映画には、かならずといっていいほど画面のなかに‘風’を感じることがある。
『応為坦坦録』も読みながら何度もその‘風’を感じた。
山本昌代さんは、この作品で文藝賞を受賞したとき、なんと23歳だったそうだ。
それを知ったとき私は、23歳でこの『応為坦坦録』を生み出したということに驚きをかくせなかった。
私から「騙されたと思って読んでみて」と、半ば無理やり読まされた友人たちも23歳という若さに驚き、そして「好かったよぉ~!」と、やや興奮気味に喜んでくれた。ふふふ~。
亡くなられた杉浦日向子さんが以前、江戸っ子のことを 《 あっけらかんとした絶望感 》 という言葉で表現していて、なるほど、と思ったのだが、『応為坦坦録』のお栄はまさしくそのとおりだった。
あっけらかんとした絶望感と生きっぷり、そして風。
それが読み終えたあとの爽快感になっているのかもしれない。
『写楽殺人事件』から始まる高橋克彦の浮世絵シリーズを読んでいなかったら、この『応為‥』も読むことはなかったかもしれない。
高橋克彦をはじめ、いろんな本を友人に教えてもらって読んだ。
読む愉しみをたくさん教えてくれた友人に感謝☆ ありがとう!
余談だが、少し前にイタリア映画の話題ときに、映画のなかで「俺たちはダヴィンチやミケランジェロの子孫だぞ!」と云っていたのが羨ましかった、というようなことを書いた。
それから、外国のひとたちでも知っている日本人って‥?とちょこっと考えていた。
そして、「あぁ、そうかぁ」とやっと気づいた。
写真を撮っているひと、デザインをしているひと、もちろん絵を描いているひと。そして映画を作っているひと。
胸をはって、「私たちは北斎や広重の子孫なんだ!」と云えばいいんだぁ、ってね。
なんだかちょっぴりスッキリしちゃったなぁ。
毎年なのだが、私は12月よりも11月のほうが夜のお食事会の機会が多い。
しかも、職場の忘年会も11月にあった。
忘年会の場所は、新規移転した 『浩司家』
落ち着いた大人の創作料理屋さんだ。
前菜からして、白子など贅沢な食材だったのだが、椀物には松茸、さらに私たちの目の前に‥!!
伊勢海老のお造りがぁぁぁ~~!!!
しかもっ、私はアタルので食べられな~~いっ!(>_<。)ノ
なので周りにある、ほかのお刺身をいっぱい食べたのじゃあぁぁぁ~!
蟹のフカヒレあんかけ、車海老の天ぷら、牛ヒレの和風ステーキ、そして伊勢海老のお味噌汁と、盆と正月がいっぺんに来たようなメニューが続いた。
ちなみにわたくし、蟹もアタルため、蟹はお持ち帰りして母へお土産~。
すべて食べ終わったかなぁというときに、犬を連れてきていることを思い出した。
おいらは何も食べてないワン!
スマン、犬よぉ~。
今回は職場の忘年会のためのスペシャルメニューだったのだが、いろんなコースのほかにアラカルトでもいろいろあるし、焼酎も多数あるので、お酒が好きで美味しいものが好きかたは是非!
ちなみにランチもやっているので、機会があればそちらもどうぞ。
打って変わって、今度はとぉってもリーズナブルなお店。
多分、『台湾市場』の系列なのかなぁと思った。
っというのも取り皿が台湾市場のだったから~。
かなり狭くキッチュな造りのお店なので、そういうところがダメなひとはアウトだが、そういうところが平気なひとにはオススメ。
ただし、お店のかたがチャイニーズなのであまり日本語が通じず、メニューについて質問しただけで注文したわけではない料理も出てきたりするので要注意なのだ。
思いっきり食べても、ひとり2000円くらいで足りそうなお店。
お金がない夜にはどうぞ。
久しぶりに逢った友達と 『bis bis』 に行った。
中央駅近くにあるお店の2号店。
前菜とリゾットとサラダと肉料理がそれぞれひとつの皿でくるのをみんなで分けて食べるコースにした。
ここのリゾットは美味しいのでちょっとオススメ。
今、秋のデザートフェアみたいのをやっているのでスィーツ好きなかたはどうぞ♪
グレンファークラス35年!
一体、この琥珀色の液体は何なのだろうか。
かなりの度数のはずなのだが、まろやかなのだ。
空っぽになったグラスに残る甘くて香ばしい香り。
うっとり菊ちゃん。
アードベグ9年
樽だしのアードベグ。かなりスモーキーでハード。
海の香りがして、アルコールが鼻からツーンと抜けるかんじがたまらない。
スコッチが美味しく飲める体に産んでくれたママに感謝☆
久々に 『カサブランカ』の絵が飾ってあった。
何を隠そう、おいらが描いた絵。
「君の瞳に乾杯」なのだ~。
ブログを書いているだけでも、おなかいっぱいになってきた。
しかし、財布の中は反比例していくのだった。
トホホ‥(-_-;)
今後の予定はどうする?菊ちゃん!
先日、仕事を早めに終らせて、報恩講の法要があるのでお寺へ行った。
昨年は2日目だったので、列座されるお坊さんも4~5倍くらいいらしたが、
今年は初日に行ったので少なめだったが、20名くらいはいらした。
大勢のお坊さんでお勤めされる法要は圧倒され、すがすがしくもある。
お勤めのあとに法話があり、休憩をいれて一時間くらいはお話されていたが、最後まで飽きずに聞くことができた。
昨年の先生(お坊さん)も楽しいかただったが、今年のかたも教養のある豊かな印象のお話をされるかただった。
福岡からお手伝いにカイトくんも来ていた。
毎晩、天文館で飲み明かしていることだろう。
以前、母に冗談で、「たまにはさぁ、オダギリジョーみたいなカッコいい坊さんが赴任して来たらいいのにねん」と云ったら、「そげな坊さんがおんもんね!」(※訳‥そんな坊さんがいるわけねぇだろうが!)っと、がられた(叱られた)。
冗談なのにん、ママ~。
‥だからって‥‥(-_-;)‥仏さま、スミマセン m(__)m
お寺で母と別れたあと、友達と待ち合わせてお茶をしに行った。
市役所の近くに新しく出来た、ハチミツのお店 『薬蜜本舗』 のカフェへ。
何種類かのハチミツの味見をさせてもらった。
ライチのとクコのが好みだった。
お値段はかなり高めだったので買わなかった、っていうか買えなかった^_^;
パンケーキと紅茶のセットを食べた。美味しかったよ~ん。
でも、ちょっとお値段高めかも~。
友達がトイレに行ったのだが、オシャレな雰囲気の店内とは違って、もともとビルに備え付けてあった普通のトイレだったらしい。ザンネン (>_<。)
11月の半ばだというのに街のイルミネーションはすっかりクリスマスになっている。
もう5~6年前のことだったのだが、英語の 「Oh, My God!」を日本語でどのように訳すると同じニュアンスで使えるだろうか?というコラムを読んだことがあった。
その答えは「女子中高生が使う “信じられなぁ~い!”だろう」ということだった。
赤ちゃんのときには神社へお宮参りに行き、結婚式はチャペルで誓いのキスをして、死んだときにはお坊さんにお経をあげていただく。
まさしく人生は「信じられなぁ~い!」わたしたち。
でも、宗教の自由とは無宗教であることも自由ということ。
そんな日本人、私は結構好きなのだが、トミー・リー・ジョーンズがそんな日本人を好きでいてくれるかは謎である。
八代亜紀のことはかなりお気に入りのようだが。
先日、毎年楽しみにしている 『イタリア展』 を開催しているデパートへ行った。
最初、オリーブオイルを試食(試飲?)していたら、横から「菊ちゃんですよね?」と声をかけられた。
知り合いの娘さんなんだけど、ブログも見てくれているのだ。(*^ー^*)
オリーブオイルはレモン風味のに決めた。
そのあと、友達と私の計3名は次々と試食していった。
生ハム、ピッツア、フォカッチャ、そして、ワイン!
ワインはグラスワイン1~2杯分は飲んだような気がする。
ジャガイモのニョッキやトマトソースも買った。
そして、シメはバリスタの炒れるカプチーノを飲むのじゃあ~。
私はミルクをブクブクに泡立てるのを持っているのだが、こんなに泡がクリーミィできめ細かくはできないのだ。
はぁ~、シアワセ~、となり、サイフ(っというか商品券)も軽くなり、その夜は私んちで、ロゼのスプマンテを飲みながらピッツアやサラミを食べた。
翌朝、フォカッチャに作り置きしてあったカレーや新しく買ったレモン風味のオリーブオイルをつけて食べてみた。
ヴォーノ・ヴォーノ!(●^_^●)
私は次の日も行き、今度はパスタやペンネ、そし てパルミジャーノやペコリーノ・ロマーノを買った。
フォカッチャも!
イタリア~ンな日々でなんだかイタリア映画を観たくなった。
ここ20年くらいの間で、おそらく一番多くのひとに愛されているイタリア映画であろうと思われる 『ニューシネマパラダイス』。
エンニオ・モリコーネの音楽も素晴らしく、「この音楽を聴いただけで‥」というひとも多いと思う。
先ずはこの映画から観ようかなぁと思った。
15年くらい前に映画館で観て、ドバァ~と溢れ出た涙は今も渇いてはいないだろうか。
『ニューシネマ‥』より、2~3年前に作られた 『グッドモーニング・バビロン!』が好きだ。
監督のタヴィアーニ兄弟が作った、映画に対する愛と尊敬が、そして職人の意地のようなものが感じられる映画だ。
ニコラとアンドレアの兄弟がいう「俺たちはミケランジェロやダヴィンチの子孫だ!バカにするな!おまえたちの先祖は誰なんだ?!」というセリフがとっても羨ましかった。
話は横道にそれるのだが、数年前に建築家の安藤忠雄の本を読んでいて、この映画のことを思い出したことがあった。
安藤忠雄がベネトンの本社(もちろんイタリア)を訪れたときの話だ。
ベネトン本社屋は17世紀に建てられたパラディオ風ヴィラを
イノベーションしたもので、そこのオフィスで働く人の傍らで、
社屋の改装中に発見された17世紀のフレスコ画の修復が
当たり前のように行われていた。このような修復にはかなりの
時間と、何よりも大変なコストがかかる。安藤忠雄の驚きに
対して、ベネトン社の会長であるルチアーノ・ベネトン氏は次
のような話をしてくれた。
「たとえ、私の会社が不況に陥りなくなろうとも、この建築と
壁画は残り、後世に伝えることができる」
ミケランジェロやダヴィンチの頃と同じ技術を持った職人がいて、それをして活用できるシステムが社会に根付いている。
かなわないなぁ、とつくづく思う。
この『グッドモーニング・バビロン!』を観ると、それを思い出してしまう。
そして、家族というものを。
最後に大好きな 『スプレンドール』。
『ニューシネマ‥』と同じ年に作られた、スプレンドール座という映画館とそこで働く人たちの話で、『ニューシネマ‥』のかげで当初あまり話題にならなかったらしい。
『ニューシネマ‥』が子供の頃のノスタルジィだとしたら、『スプレンドール』は大人のノスタルジィなのだ。
イタリア映画といえばのマルチェロ・マストロヤンニに、『イル・ポスティーノ』のマッシモ・トロイージ、そして愛すべき大人の女のマリナ・ヴラディ!
イタリア映画が好きで、映画館が好きなひとには是非観てもらいたい作品だ。
今は鹿児島には“映画館”という建物は存在しなくなった。
歩いていて、「あ、こんなのをやっているんだぁ、観てみようかなぁ~」と思いフラ~と映画館へ入る、ということができなくなった。
でも小さいころ父と任侠モノをみた映画館、有楽座、地方ではなかなか観ることのできない単館系の作品や昔の映画をたくさん観させてもらったプラザ80・120、そして東映や松竹、シネシティとたくさんの映画館の面影が体のなかに沁みこんでいる。
そのうちに、地方に住んでいる人々にとっての映画館というものはシネコンのようなところで、そういうところしか知らないという世代になっていくのだろう。
そういう人々は『ニューシネマ‥』や『スプレンドール』を観て、胸が熱くなるのだろうか。
そんなこともちょっぴり考えてしまった。
シネシティが閉まるときに椅子を持っていくことが出来なかった寂しさも。
それでも映画は作り続けられるのだ。
イタリア展で買った格安のペンネをゆで、作ってあったミートソースをアレンジしてアラビアータ風にしてみた。
パルミジャーノを削ってのっけると、フワァ~とチーズの香りがたちあがってくる。
味はHOTでもちろんヴォーノ・ヴォーノなのじゃぁ~。(*^ー^*)
んぢゃ、また!
ciao!
私はひどい肩こりで頭痛もちだ。
寝る前や朝起きたときに首や肩を軽くストレッチしてほぐすのだが、
限界に達するとそれすら辛くなり、吐き気がしてしまう。
体を休めるはずの睡眠すら、もともと寝返りが少ないということもあり、
肩こりが悪化するように感じることがある。
さらに頭痛もひどくなり薬も効かなくなってしまう。
そうなると、いっくら肩こりにいいという体操をしても気持ちが悪くなるだけなので、
プロにほぐしてもらう。
私はマッサージに鍼をプラスしてもらっている。
最初は鍼ってどうなの?と恐る恐るしていたのだが、今はまぁったく平気だ。
完全にコリがとれるというわけではない。
しかし、マッサージの前と後の肩の軽さの違いって一体なんなの?!
っと思うくらい、なんだか晴れ晴れとした気分で帰路につく。
思えば、昔っから肩がこるようなことが趣味だった。
おまけに仕事もかなり肩がこることばかりしてきたような気がする。
亡くなった父は肩こりや頭痛がまったくと云っていいほどないひとだった。
生まれ変われるということがあるのなら、別に太っていてもいいので、
肩こりや頭痛のない体に生まれてみたい。
かなり切実な夢なのじゃあ~。
こんなことしてるから、肩がこるんだけどね。
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