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2006年12月21日 (木曜日)

ザ・デッド

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Photo_232 『ザ・デッド 「ダブリン市民より」』

静かにクリスマスを過ごしたい、と思っているひともいると思う。
今はクリスマスプレゼントも「自分のためのご褒美に」と買うひとも多いと聞いた。特に女性は。
って、ことは案外プレゼントを期待しているのって男性が多いってことなんだろうか。
それはさておき、クリスマスが近くなると思い出す映画がいくつかある。
前かいた『SMOKE』もだが、ジョン・ヒューストン監督の遺作になる 『ザ・デッド』は何度もみてしまう大好きな映画だ。

ジェームス・ジョイスの『タブリン市民』のひとつを映画化したもので、原作を読んだことのあるひとが云うには、「オープニングから期待を裏切らないつくりで感激した」らしい。
アイルランドのダブリンで、おばあちゃま姉妹が毎年開くこじんまりとした温かいクリスマスパーティの夜の話で、そこを訪れるガブリエルとグレタ夫婦が軸になっている。
グレタ役のアンジェリカ・ヒューストンはもちろん監督の娘で、この役はこのひとしか出来ないんじゃないだろうか、とさえ思った。
特に階段の途中の聖母のような姿は忘れられないシーンだ。

パーティが終わり、ホテルの部屋へ戻ったあと、グレタは若き日の恋の思い出をガブリエルに告白する。
そして泣きつかれたように眠るグレタの横で、複雑な気持ちであろうガブリエルの独白。
夜の静寂と降り積もる雪が街を覆い尽くしていくように、静謐で崇高なかんじさえするガブリエルの独白が見ているこちら側にも深深と降り積もっていく。

この映画のテーマでもあるかと思う「生と死」。
ジョン・ヒューストンは車椅子に酸素ボンベという状態でこの映画を撮ったそうだ。
自身が生と死を身も心も受け止めようとするかのようなかんじさえ受ける。
最後にこんな映画を作ることが出来たヒューストン監督も、そしてそれを観ることができた私たちも幸せだと思った。

10年、20年前の私はこの映画を観ても今の半分も良さがわからなかったかもしれない。
いつも、ガキだガキだなぁと自分自身思っているのだが、こういう映画が降り積もる雪のように深深と心に沁みいてくるようになったんだなぁとちょっぴり嬉しくもなった。

たまには、聖なる夜には聖なる映画をぜひ!

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2006年12月10日 (日曜日)

映画とジャズ

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私はジャズも好きだ。あくまでもジャズもね。
オールディズやサザンやクラシックギターと同じように好き。
なので熱心なファンでもないので、軽い気持ちでジャズを扱った映画を観る。
カッコいいなぁ~とか、いい音楽だなぁ~とかいった雰囲気が楽しいのだ。

『ロバート・アルトマンのジャズ』(JAZZ ’34)という作品がある。
なぜ「映画」といわず「作品」と云ってしまったかというと、初めて観たとき、どうも映画といったカンジがしなかったからだ。
あとで知ったのだが、これはアルトマン監督の『カンザス・シティ』という映画のジャズの演奏シーンを再編集した作品なのだ。
『カンザス・シティ』を観たことのあるひとに「どんな映画?」と尋ねたら、「ジャズの演奏シーンはすごくいい映画」と云っていたので、きっとそんな映画なのだろう。
それで『ジャズ』なのだが、ちょっとカッコよすぎるのだ。
でも、家でゆっくりとお酒を飲みながら観る(聴く)には最適な作品。
ものすご~く好く出来たミュージックビデオ(アルトマンに失礼な!)に近いかも。
本当に失礼な意見だが。

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以前、クリント・イーストウッドが監督した『バード』という映画を観た。
アルトサックスプレーヤーのチャーリー・パーカーを描いたものだ。
これを観た熱狂的なジャズファンは意見が二分に分かれたと聞いた。
「素晴らしい!」と感じた人と「認めたくない!」と感じた人に。
認めたくない人たちは、ジャズをあまり知らない人がこの映画のなかのチャーリー・パーカーがすべてだと思ってしまうのは非常に困る、ましてやこの映画を入門書のように思ってしまうのはもっと困る、といったかんじらしい。
それで私は?というと、結構好かったなぁ~と思った。
途中、演奏のシーンが長く感じることもあったのだが、全体に流れる湿り気のような明かりと暗さが心地よかった。
特に、お葬式からラストの雨上がりの通りまで続くカンジ。
それとチャーリー・パーカーは夭折のミュージシャンであるのだから、もちろん死ぬのだが、そのとき不思議とホッとしたのだ。
そして、観ていた映画館は小さい映画館で、一緒に観ていたのはだいたい12~13人くらいでほとんどが「おひとりさま」だったのだが、最後に誰かが拍手をしたのだ。
それにつられてみんなが盛大ではないが、小さい拍手をおくった。
悪いけど、それはチャーリー・パーカーにではないと思う。
「アメリカがもっている独自のアートはウエスタン映画とジャズだけだ」と云ってたイーストウッドに向けてだと。

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最近、BSで放映があった『JAZZ SEEN カメラが聴いたジャズ』が面白かった。
50年代よりジャズシーンを撮りつづけてきた、カメラマンのウィリアム・クラクストンの足跡みたいなものを写真同様におしゃれでクールにカッコよくまとめた映画だ。

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あのジャケットの写真もこのジャケットの写真もクラクストンだったの?!
っと思うくらい多くのジャズメンたちのいい顔を撮っている。
そして、写真家にはよくミューズとも云えるパートナーがいることが多い。
へぇ~、この人が奥さんだったんだぁ~とまたビックリ。
観ているうちに写真集が欲しくなった。
これこそ、気の置けない仲間とお酒を飲みながら観るのにはサイコーかもしれない。
友達の話では、出来としては同じ監督の『BLUE NOTE』のほうがいいらしいが‥。

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そんな私にもお気に入りのジャズのアルバムがある。
ビリー・エクスタインとサラ・ヴォーン(大好き!)の
『THE IRVING BERLIN SONGBOOK』と
ディヴ・ブルーベック・カルテットの『DAVE Digs DISNEY』
“ALEXANDER’S RAGTINE BAND”で始まるゴキゲンなアーヴィング・バーリンの作品集。
ディズニーの音楽を元がわからなくなるくらい楽しくした作品集。
“ハイ・ホー”はそらで口ずさめるくらいお気に入りだ。
特にディヴ・ブルーベックのはレコードで持っていて、水害で一度なくしたが、またCDで買いなおした数少ないアルバムのうちの一枚。
両方とも今の時季に聴くとまたいいのだ。

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デ・ニーロがとってもカッコよかった『ニューヨーク・ニューヨーク』
映画としては、どんなものだったかよりも、デ・ニーロの首から下がっているサックスになりたい、と思ったことのほうがあくまでも重要だ。
今も昔も。

2006年11月 6日 (月曜日)

prendiamo il caffe?

Photo_165 どっち飲む?

先日、毎年楽しみにしている 『イタリア展』 を開催しているデパートへ行った。
最初、オリーブオイルを試食(試飲?)していたら、横から「菊ちゃんですよね?」と声をかけられた。
知り合いの娘さんなんだけど、ブログも見てくれているのだ。(*^ー^*)
オリーブオイルはレモン風味のに決めた。
そのあと、友達と私の計3名は次々と試食していった。
生ハム、ピッツア、フォカッチャ、そして、ワイン!
ワインはグラスワイン1~2杯分は飲んだような気がする。
ジャガイモのニョッキやトマトソースも買った。
そして、シメはバリスタの炒れるカプチーノを飲むのじゃあ~。
私はミルクをブクブクに泡立てるのを持っているのだが、こんなに泡がクリーミィできめ細かくはできないのだ。

はぁ~、シアワセ~、となり、サイフ(っというか商品券)も軽くなり、その夜は私んちで、ロゼのスプマンテを飲みながらピッツアやサラミを食べた。
翌朝、フォカッチャに作り置きしてあったカレーや新しく買ったレモン風味のオリーブオイルをつけて食べてみた。
ヴォーノ・ヴォーノ!(●^_^●)
私は次の日も行き、今度はパスタやペンネ、そし てパルミジャーノやペコリーノ・ロマーノを買った。
フォカッチャも!
イタリア~ンな日々でなんだかイタリア映画を観たくなった。

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ここ20年くらいの間で、おそらく一番多くのひとに愛されているイタリア映画であろうと思われる 『ニューシネマパラダイス』
エンニオ・モリコーネの音楽も素晴らしく、「この音楽を聴いただけで‥」というひとも多いと思う。
先ずはこの映画から観ようかなぁと思った。
15年くらい前に映画館で観て、ドバァ~と溢れ出た涙は今も渇いてはいないだろうか。

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『ニューシネマ‥』より、2~3年前に作られた 『グッドモーニング・バビロン!』が好きだ。
監督のタヴィアーニ兄弟が作った、映画に対する愛と尊敬が、そして職人の意地のようなものが感じられる映画だ。
ニコラとアンドレアの兄弟がいう「俺たちはミケランジェロやダヴィンチの子孫だ!バカにするな!おまえたちの先祖は誰なんだ?!」というセリフがとっても羨ましかった。

話は横道にそれるのだが、数年前に建築家の安藤忠雄の本を読んでいて、この映画のことを思い出したことがあった。
安藤忠雄がベネトンの本社(もちろんイタリア)を訪れたときの話だ。

ベネトン本社屋は17世紀に建てられたパラディオ風ヴィラを
イノベーションしたもので、そこのオフィスで働く人の傍らで、
社屋の改装中に発見された17世紀のフレスコ画の修復が
当たり前のように行われていた。このような修復にはかなりの
時間と、何よりも大変なコストがかかる。安藤忠雄の驚きに
対して、ベネトン社の会長であるルチアーノ・ベネトン氏は次
のような話をしてくれた。
「たとえ、私の会社が不況に陥りなくなろうとも、この建築と
  壁画は残り、後世に伝えることができる」

ミケランジェロやダヴィンチの頃と同じ技術を持った職人がいて、それをして活用できるシステムが社会に根付いている。
かなわないなぁ、とつくづく思う。
この『グッドモーニング・バビロン!』を観ると、それを思い出してしまう。
そして、家族というものを。

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最後に大好きな 『スプレンドール』
『ニューシネマ‥』と同じ年に作られた、スプレンドール座という映画館とそこで働く人たちの話で、『ニューシネマ‥』のかげで当初あまり話題にならなかったらしい。
『ニューシネマ‥』が子供の頃のノスタルジィだとしたら、『スプレンドール』は大人のノスタルジィなのだ。
イタリア映画といえばのマルチェロ・マストロヤンニに、『イル・ポスティーノ』のマッシモ・トロイージ、そして愛すべき大人の女のマリナ・ヴラディ!
イタリア映画が好きで、映画館が好きなひとには是非観てもらいたい作品だ。

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今は鹿児島には“映画館”という建物は存在しなくなった。
歩いていて、「あ、こんなのをやっているんだぁ、観てみようかなぁ~」と思いフラ~と映画館へ入る、ということができなくなった。
でも小さいころ父と任侠モノをみた映画館、有楽座、地方ではなかなか観ることのできない単館系の作品や昔の映画をたくさん観させてもらったプラザ80・120、そして東映や松竹、シネシティとたくさんの映画館の面影が体のなかに沁みこんでいる。
そのうちに、地方に住んでいる人々にとっての映画館というものはシネコンのようなところで、そういうところしか知らないという世代になっていくのだろう。
そういう人々は『ニューシネマ‥』や『スプレンドール』を観て、胸が熱くなるのだろうか。
そんなこともちょっぴり考えてしまった。
シネシティが閉まるときに椅子を持っていくことが出来なかった寂しさも。
それでも映画は作り続けられるのだ。

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イタリア展で買った格安のペンネをゆで、作ってあったミートソースをアレンジしてアラビアータ風にしてみた。
パルミジャーノを削ってのっけると、フワァ~とチーズの香りがたちあがってくる。
味はHOTでもちろんヴォーノ・ヴォーノなのじゃぁ~。(*^ー^*)

んぢゃ、また!

ciao! 
  

2006年10月26日 (木曜日)

SMOKE

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一番好きな映画は?と聞かれると一本だけ選ぶことなんて到底出来ないけれど、かならず頭に浮かぶ映画がある。
それが、『 SMOKE 』 だ。

ブルックリンにあるオーギー(ハーヴェイ・カイテル)の煙草屋を中心に、小説家のポール(ウィリアム・ハート)、黒人少年とその父親(フォレスト・ウィティカー)などなどのエピソードが重なり、話が進んでいく。
今から観るひとはしあわせだなぁと思うし、だからこそ、思い出したように何度も観てしまうのだとも思う。
   

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生きていれば、辛いこと苦しいことはあって当たり前だ。
もちろん嬉しいこと楽しいことも。
何かで読んだ、「心にかさぶたができたようだ」という言葉が好きだ。
自然とかさぶたが取れるのを待つひと、薬を塗ってみるひと、無理やり剥がすひと、包帯でグルグル巻きにするひと‥。
どんな方法でもいつかは心のかさぶたも取れる日がくるのだ。
そして、どんなひとでも、いつでも心のどこかになにかしらのかさぶたがあるのだと思う。
この『SMOKE』を見ていると、形にできない、声になかなか出して云えない、「友情」や「信頼」、そして「ごめんなさい」と「ありがとう」が煙草の煙のようにモクモクと漂っているような気がしてくる。
そして、ラストのクリスマスの話とトム・ウェイツの音楽、クレジットの『煙が目にしみる』と、胸にシクシクと煙が沁みてくる。

「みんな観てみて!オススメ!」とは絶対云わない。
好きそうな人にコソっと教えて、「ねっ」とお互いニマニマするのが好きなのだ。
本当に好きなモノは他のひとに教えたくなくなる。
そんなモノを自分の引き出しに入れておこう。
そして、時々出して虫干しして風花にあて、また大切にしまっておこう。
『SMOKE』は、そんなモノのひとつ。
出逢えた自分に感謝!

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2006年9月26日 (火曜日)

赤い薔薇ソースの伝説

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映画のキャッチフレーズは「あなたはまいにちわたしを食べる」‥。
こう書くと、なんだか違うイメージにとられそうなのだが、官能的だけどそれだけじゃあない、
『赤い薔薇ソースの伝説』。
私が初めて観たのは10年くらい前だったと思う。
最初からどっぷりハマってしまったような気がする。

主人公のティタは末っ子だというだけで好きな人と一緒になることもできず、一生親の面倒をみないといけない、というのだ。
そのティタが好きになったペドロは、一緒になれないならせめて近くに、
とティタの姉と結婚してしまう。
台所で生まれたティタが、その結婚式に作った料理。
ずっと編み続けられる毛布。
そして、要所要所に出てくる炎。
すべてが私の心のなにかに触れたのだ。

原題は『Come aqua para chocolate』。
「チョコレートに使う水のように、この水は3回沸騰させなければならない」とか、
「チョコレートを溶かす湯のように熱い情熱と性的欲求」とか、いう意味らしいが、友人いわく、
メキシコの慣用句で 『沸騰寸前』 らしい。
ラストなど、ちょっとそれって‥という感もあるのだが、ティタをしばっていた “ 家 ” とともに灰になってしまうのかなぁと思いながら観ていた。
なぜ、泣いてしまったのか、と思うのだが、それは女だからなのかなぁとも思った。
それから、玉葱を刻むときに出る涙も少しだけロマンチックなものになった、‥かもしれない。

 
Photo_115 合鴨とオレンジのミモザサラダ

この映画をみたあとは、美味しいものが食べたくなる。
もちろん、自分で作って。
私は薔薇ソースはなかなか出来ないのだが、オレンジ色のミモザソースは簡単なので作る。
合鴨のローストとオレンジはとっても相性がよく、サラダにピッタリだ。
オレンジをいちいち房から切り外すのが好きなのだ。
サラダのためだけに、1個オレンジを買うわけもなく、残ったオレンジはママレードになる。

2_50 紅茶とオレンジのママレード

いつもはオレンジや他の柑橘類だけで作るのだが、今回は紅茶を入れて作ってみた。
すると、いつものママレードとはかなり違った味になり面白かった。
ライチとラズベリーでジャムを作ると香りが薔薇っぽくなるそうだ。
今度、ぜひ作ってみようと思う。

 
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それでも、相変わらずおバカは治っていない菊ちゃんであった。

2006年9月15日 (金曜日)

ゆれる

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鹿児島の映画館に問い合わせてみた。
『ゆれる』の上映予定はあるのか、と。
  「今のところ、上映予定はございません」
もう我慢できな~い!観にいくのじゃぁぁぁああ!!
オダジョーも「菊ちゃん、来ないの?」って云ってたし。(←かなりの妄想)

 
2_44 オダギリジョーの弟

1_43 香川照之の兄

私は知ってのとおり、オダギリジョーがスキスキ大好きなのだが、それだけだったら、わざわざ安くはない交通費を出してまで観に行ったりしないのだ。
共演が香川照之だからだ。
今、活躍している俳優のなかでダントツの演技力で、こちらも大好きな役者なのだ。
どちらか片方だけだったら、きっとDVDになるのを待っていたと思う。

『ゆれる』は、橋の上で起きたことで変わっていくひと、変わらないでいるひと、吊橋のようにゆれるひとの心を描いている。
今までみたことのないオダギリジョーがいる。
“ただの男” のオダジョーがいるのだ。
それよりも香川照之は、一体なんなんだ。何の恨みがあって、こんな演技ができるのだ?と思うくらい素晴らしいのだ。
散々、上手い、巧いと言われているひとに今更ながら言うことではないのだが、少し怖くなるくらい。
だからといって、あからさまに「上手いだろ」といった雰囲気を全くといっていいほど感じさせないのだ。
悲しく厳しい話なのに、見ていて重たい感じがしない。
透明なかんじすらするくらいなのだ。
だからこそ監督はこの二人を選んだのかもしれない。
心にはかなりズシンとくるのだが。

オダギリジョーが以前、云っていたことを思い出す。
売れない頃、浅野忠信の仕事を見ていて羨ましかった。ああいう仕事がしたい、と思っていた、と。
そして、今は自分がそういう風に見られるようになった。
でも、自分はそういう風になりたいのではない、と。
売れない役者の卵ではなく、現役で活躍している俳優、役者仲間に、「あいつの仕事いいなぁ、くやしいなぁ」と思われるようになりたいのだ、と。

『ゆれる』のオダギリジョー、そして香川照之をみて、何百何千という俳優たちが、羨望と嫉妬を感じていることだろうと思う。
オダギリジョーの顔や声はもちろん意識のなかで残っているのだが、フッと思い浮かんでくるのは、ラストの香川照之の顔と、洗濯物を畳んでいる香川照之の背中なのだ。
涙が溢れ出してしまいそうになるくらいの顔と、
胸がギュウウゥと締め付けられるくらいの背中が。
二度と出逢えない映画が終るころ、寂しくなった。

 
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一体、何の目的があるのだ、私は‥。

余談だが、この世の終わりが来るとしたら、今の私は母と二人、父の写真やお位牌を持って抱き合って死んでいく予定(?)だったのだが、予定変更することにした。
お母様、親不孝を許してください。私はオダジョーとキスをしながら死んでいくことに致しました。
え?オダジョーの気持ち?! そんなの無視無視♪ ヽ(^。^)ノ ラリホー☆

2006年9月13日 (水曜日)

PREVIEW

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* 只今、準備中 ♪

2006年7月27日 (木曜日)

授賞式をみてホロっとなる。

Photo_39 ←アパートの鍵貸します

私はアカデミー賞やゴールデングローブ賞など、映画の授賞式を見るのが好きだ。
女優さんの衣装を見るのも楽しいし、一緒に来ている人を見るのも楽しい。
受賞した人のコメントも感動したり、笑ったり、ワケがわからなかったりと、いろいろあり楽しい。
主題歌賞もあるので、ビッグな歌手も出たりするのだが、それでも、ハリウッドスターたちを目の前にして、かなり緊張しているのを目の当たりにすることがある。
あのマドンナでさえ、ものすごーい緊張で歌がかなり硬かったのを覚えている。

なかでも、好きなのが『名誉賞』や『アーヴィング・タールバーグ賞』などのときだ。
プレゼンターからして「このひとが!」という場合が多く、今までの受賞者の作品が映されるとドキドキし始める。
そして、本人が登場すると、みんながスタンディング・オベーションで迎える。
先輩に対する敬意が会場を包み込んでしまう瞬間が好きだ。
受賞のコメントも、どの賞のひとたちよりも聞き入ってしまう。
映像はみていないのだが、大好きなビリー・ワイルダーがアーヴィング・タールバーグ賞を受賞したときのコメントは本で読んで、胸が熱くなり、うるる~(*_*) となった。

最近では、第70回にスタンリー・ドーネンが名誉賞を受賞したときは、とぉ~っても素敵だった。
『雨に唄えば』や『パリの恋人』などを作った監督で、壇上でタップを踊り、オスカー像を頬擦りするように “チーク・トゥ・チーク” を唄った♪
私は、なんてキュートなおじいちゃまなんだろう!とニコニコ笑顔のハッピーな気分で画面をみていた。

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↑ドーネンの作品ではないけど、こんな気分♪

この年は、ちょうどアカデミー賞が70回記念で、今まで男優賞や女優賞を受けた俳優たちが勢ぞろいして、さらに楽しませてもらった。
まさしく綺羅星のごとくだった。

エリア・カザンが名誉賞を受賞したときは、いつになく会場がピーンと張り詰めていて、見ているこちらも「うぅぅ~~」となっていた。
別に私が悩まなくていいのだが、作品は素晴らしいだけに、「どうしたらいいの?!」となり、「あ、あの人もあの人も座って拍手もしない‥」とさらに複雑な心境に頼まれもしないのに勝手になった。

受賞者ではないが、最近一番嬉しかったのは、9.11の明けた年の授賞式のオープニングにウディ・アレンが登場したときだ。
自分が受賞しても決して授賞式には出てこなかったウディ・アレンが、愛するニューヨークのためになら、と登場したのだ。
そして、自分の番が終ったら、さっさと帰ってしまったらしい。素晴らしい☆

そんな私が今まで一番胸を打たれたのは、フェデリコ・フェリーニが名誉賞を受賞したときだ。
いろんな人たちへの感謝の言葉を言った最後に、妻であるジュリエッタ・マシーナに声を掛けようとするのだが、ジュリエッタ・マシーナは涙が溢れていた。
そして、フェリーニがひとこと最後に言った。

「泣くんじゃない、ジュリエッタ」

ジュリエッタじゃないのに、私もポロポロ泣いた。

確か、この年の秋頃にフェリーニは心臓麻痺かなにがで亡くなり、
まるで後を追うように、半年後にはジュリエッタ・マシーナは癌で亡くなった。
こんな羨ましい二人はなかなかいない。

3_1 ←ジェルソミーナ!

2006年7月12日 (水曜日)

奥様映画館

2_9 ←若かりし頃の山田五十鈴さん

もう20年くらい前、地元のテレビ局が平日の午前中に『奥様映画館』とかなんとかいうタイトルで、昔の日本映画を放映していた。
高校生のころは、どうしても観たい映画のときには、ちょこっと遅刻して、観てから学校へ行った。
家でブラブラしていたときには、毎日のように観た。
なかでも日活アクションものは、かなりの数を観たと思う。
当時のなかでは、私は川地民夫がカッコいいと思った。
あと、津川雅彦の美しいこと!
放映されていたのは、わりとB級といわれるような映画のほうが多かったが、それはそれで面白かった。
特に小林旭の渡り鳥シリーズや加山雄三の若大将シリーズはとっても楽しかった。
どちらも脇役がバカバカしいくらいステキで楽しいのだ。
そういう作品の合間に時々、佳作といわれるような作品も放映されていて、特に印象深かったのが『おとうと』という作品だ。
岸恵子と川口浩の姉弟の話なのだが、なんて美しい映画なんだ、と思ったことを今でも覚えている。
この映画がきっかけで、自分からもいろいろ昔の日本映画を観るようになった。

川本三郎さんの『君美わしく―戦後日本映画女優賛』は、戦後活躍した女優たちのインタビューをまとめた1冊で、奥様映画館を観ていた私にとっては、宝物のような本だ。
それぞれの女優たちの当時の美しさにはびっくりするくらいだ。
それと、みなさん、ある意味 “男らしい” と思った。
私は読んでいる途中で、何度か涙が出てきた。
そして、奥様映画館でいろいろ観ていてよかったなぁと、そのあとも観続けていてよかったなぁと。
とっても、しっかりとした構成で作られた本で、インタビューの本としても、映画の本としても、上質の1冊だと思う。

私は昔のでも今のでも、日本映画が好きだ。
もちろん、つまらない映画もたくさんある。
時々、観る前に「でも、それって日本映画でしょ?」と言われることがある。
そんな人に、例えば「ここ10年くらいに何本の日本映画を見たの?」と聞くと、大概、ほとんど観ていないと言うのだ。
観て、「つまらない」というのはかまわないと思う。
観ていない人がいうのはどういうことなのだろう。
(そういう意味では、リリー・フランキーは真っ当だと思う)
大好きな寺田寅彦の言葉のなかに、
「物事に対して『ツマラナイ』と言うのは『自分はその物事の中にツマルある物を発見する能力を持たない』と自白するに過ぎない」
と、いうのがある。
いろんなモノから、『ツマルある』モノを見つけたいなぁと思う。

2_10 ←原節子さん

2006年7月 4日 (火曜日)

すべてはアメリカン・グラフィティから

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小さい頃、日曜日の夕方にアメリカのドラマが放映されていた。
それは『ハッピーデイズ』というフィフティーズっぽい青春コメディだった。
オープニングは『ロック・アラウンド・ザ・クロック』で、その曲がえらく気に入っていた小学生の私は、ラジカセをテレビにつないでテープに録音して何度も聴いた。

それから何年後かの中学生の私は、映画館で『アメリカン・グラフィティ』を観てビックリした。(そのときすでにリバイバル上映)
オープニングが『ロック・アラウンド‥』だし、『ハッピーデイズ』に出ていたお兄さん(ロン・ハワード)が出ているからだ。
それだけでも釘付けなうえに、ファッションや音楽など、いちいち私の琴線にふれたのだと思う。
それ以降、確実にファッションや聴く音楽が変わった、というか、いろんなことに対して、窓が開いたように思えた。

mc sisiter を読み、DO FAMILY!の服が欲しい、と思った。とってもアメグラっぽかったから。
50~60’sっぽいものが雑貨屋にあると迷わず買った。
いつの日か、ジュークボックスを買いたいと思い(?)、少ないお小遣いで少しづつ、中古レコード店でオールディズのシングル盤を買い集めていた。
古い外国の雑誌をたまにフンパツして買ったりした。
そして、映画っておもしろいと思い始めた。

あれから、20年以上経った今、シングル盤は一枚も残っていない。集めていた雑貨も古い雑誌も。
8.6水害で家のなかで胸まで水に浸かったので、何百枚というレコードも本も写真もなくなったのだ。
でも、今だにポップなモノが好きで、ギンガムチェックが好きで、オールディズが大好きだ。
今の自分のいろんな“趣味”の土台を作ってくれたのは、アメグラだと思っている。

中学生の頃に、ロードショーかスクリーンから切り抜いた、アメグラの広告は今も部屋に飾っている。
愛すべき映画が何本もあるということは、なんて幸せなことなんだろうと思う。

フォトアルバム

DAISY0529DAISY

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    時々、アップしています。よかったら見てね。

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    過去に作ったモノを集めて紹介しています。 見てみてネ。       

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  • Daisy Books
    少しづつ置いています。覗いてみてネ。

映画の記録ノォト

  • BLUE MOON
    観た映画を忘れちゃう前にメモしておこう、と思っていたのにすでに忘れています‥。

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